今日は定火消の2回目です。
定火消に任命される旗本は、お題のテキストによれば3千石から5千石くらいの旗本が命じられたとされています。
4千石以上と書いている本もありますが、いずれにしても大身旗本が任じされました。
定火消は役料300人扶持を給し、与力6名と同心34名(テキストでは34名ですが「江戸の火事」では30名となっています)、臥煙という火消人足約100名がつけられました。
定火消屋敷は約3000坪あり、高さ三丈(約9.1メートル)の火の見櫓がありました。
定火消屋敷の櫓は四方があいていて、外囲いの蔀(しとみ)が素木(しらき)生渋(きしぶ:混ぜ物のない柿渋)塗りになっていました。
大名屋敷の櫓は江戸城の方角は必ずふさぐことになっていましたし、町の火の見櫓と同じく黒渋塗りでした。
定火消屋敷の火の見櫓には太鼓と半鐘がぶら下げられていて、大名の火の見櫓には板木(ばんぎ)が、町火消の火の見櫓には半鐘がぶら下げられていました。
そして、定火消屋敷の火の見櫓には見張りの同心が2名常駐していました。
火事を発見すると、 太鼓をドン・ドン・ドンとひとつ重ねで打ちました。これが出太鼓と呼ばれました。
近場での火事の場合には、太鼓と半鐘を交互に ドン・ジャン・ドン・ジャン・ドン・ジャン と打ちました。
定火消役は、火災の際には二重しころの火事場兜をかぶり、皮製(後には派手な模様の羅紗製)の火事羽織を着て、騎馬で出役しました。
与力は騎馬、同心は徒歩で現場へ向かい、火のつきにくい鹿皮の半纏を着用し、火事場頭巾をかぶりました。
櫓には見張りの同心が引っ張る合図のひもが2本、ぶら下がっていました。
一本は定火消の枕もとに通じるもので鈴がついていました。
定火消は毎夜、火事装束をそろえておき、合図があると支度をしてただちに出動しました。
もう一方の紐は、臥煙が控えている臥煙部屋につながっていたと思われるます。
臥煙というのは、実際に消火にあたる火消人足たちのことです。
臥煙は日頃から屋敷内の大部屋(臥煙部屋)で寝起きしていました。
寝るときには丸太を枕として並んで眠り、火災発生の際には不寝番が丸太の端を槌で叩いて一斉に起こしました。まさにたたき起こすという言葉通りの起し方です。
臥煙は真冬でも法被一枚で過ごし、火事場でも、町火消が刺子の火事装束で身を固めているのに対して法被だけで動き回りました。
また、一日に三四回も入浴したと「江戸の火事」(黒木喬著)に書いてあります。
こうした臥煙には荒くれ者も多くいました。
火事のないときは屋敷内で博打をしたり、町へ出て民家(主に商家といわれている)に銭絹(ぜにさし:銭を通す紐)を押売しました。
町民は、火事が近づいた時に、消火に消極的になったり、必要がないのに有無を言わさず家を壊されたりするような事態にならないように、やむ得ず銭絹を買ったようです。
こうしたことから臥煙は江戸市民から嫌われ、迷惑がられる存在でした。

