駿河台の定火消屋敷跡は、現在はニコライ堂となっています。
ニコライ堂は大変有名ですので、多くの人がご存じでしょうが、ニコライ堂が建っている場所に、江戸時代は、定火消屋敷があったのです。
ニコライ堂はJR御茶ノ水駅聖橋口出口から徒歩2分の場所にあります。
ニコライ堂は、正式名称は「復活大聖堂」と言います。ニコライ堂とは、この大聖堂の建設に大きな役割を果たしたロシア人の聖ニコライの名にちなむものです。
聖ニコライは、文久元年(1861)にロシア軍艦アメリカ号(一説にはアムール号)にのって函館に到着しました。
函館には安政5年(1858)8月の日露修好通商条約により、駐日ロシア領事館が開設されていました。また領事とともに司祭が着任し救主復活聖堂という教会が建設されていました。
復活には16世紀に日本に存在したけれど滅ぼされたキリスト教が再び姿を見せたという意味が込められているそうです。
聖ニコライは函館に到着するとさまざまな日本人から日本について学びました。この中には後に同志社大学の創立者となる新島襄もいたそうです。
しかし、一方では聖ニコライを切り捨てようとした人物がいます。
その人物は、昨年の大河ドラマ「龍馬伝」にも出てきた澤邊琢磨(山本数馬)です。澤邊琢磨は坂本龍馬のいとこで、武市半平太の弟子でもあります。
江戸で懐中時計を盗んだ疑いをかけられ江戸を脱出して函館にいました。
澤邊琢磨は、日本に異教の害毒を流しこむニコライを斬ろうとしてニコライに面談します。
澤邊琢磨はニコライにするどく詰問しました。
「あなたの信じる宗教は邪法であり、あなたは我が国を窺(うかが)っているのではないか」
これに対してニコライは平然として問い返しました。「それでは、あなたはハリストス教のことをよく識っていますか」
澤邊琢磨が答えます。「識りません」
それに対してニコライは次のように言いました。「まだ識らないハリストス教を、憎むべき邪法と決めつけられますか。もし識らないのであれば、これを研究した後で正邪を決めればよいのではないですか」
澤邊琢磨は答えに窮しました。しばらく沈黙した後、意を決して「その通りです。これからハリストス教を聞きます」と答えたと云います。
澤邊琢磨は明治元年5月30日に酒井篤礼と浦野大蔵とともに洗礼を受けます。明治7年には渡辺琢磨が司祭に叙聖されました。
聖ニコライは、函館はじめ北海道・東北の布教を後任に任せ、明治5年1月に上京し築地の借家で活動を開始し、9月には神田駿河台に移転し、ここが聖ハリストス教会の本拠地となりました。
ニコライ堂は、明治17年に起工し明治18年に竣工しました。大聖堂の原案はロシアのミハイル・シュチ―ルポフ工学博士、設計はイギリスのジョサイア・コンドルが行い、清水組が施工しました。
建築面積は約800平方メートル、ドームの高さ35メートルあります。日本で初めての本格的なビザンティン様式の教会建築といわれています。
昭和37年に国の重要文化財に指定されました。

