定火消屋敷めぐりの第8回目は、市谷左内坂の定火消屋敷です。
*この記事は、2011年に書いた記事を、一部見直して、今年の江戸検のお題「江戸の大変」のため、再度掲載するものです。
そのため、掲載する写真は当時のものであり、一部の情報が古くなっていることもありますので、その点、ご了承いただいた上でお読みください。
市谷佐内坂の定火消屋敷跡には、新宿区が建てた定火消の発祥の地の標柱がありますので、見つけやすい屋敷跡です。
JR市谷駅から徒歩5分ほどで、南北線市谷駅からは徒歩1分程度のソニー・ミュージックエンタテインメントのSMEビルの東側脇に「定火消発祥の地」の説明標柱が建っています。
それには、次のような説明が書かれていました。
万治元年(1658),新たな消防制度として江戸に誕生した定火消の屋敷のひとつがこの市谷左内町21番地および市谷田町1丁目地内に置かれました。屋敷内には火の見やぐらが立てられ, 定火消役の旗本以下, 与力6人, 同心30人, 火消人足およそ100人が火事に備え, ここに初めて火消しの常駐する場所がつくられました。
平成17年2月 新宿区
幕末の切絵図を見ると、市谷の定火消屋敷は、標柱の建っている所より、もう少し北側にあったように思われます。
下の消防博物館作成した比較地図をご参照ください。

定火消屋敷西側の坂は、「左内坂」と呼ばれています。
この坂は、江戸時代初めの元和年間に島田左内という人が開発し、町家をつくったことにちなんで、左内坂と呼ばれるようになったそうです。
島田家は明治時代まで名主を務め、代々島田左内を名乗っていたそうです。
左内坂の西側には、江戸時代、尾張藩の上屋敷がありました。明治7年に、ここに陸軍士官学校が設置されました。
そこは、左内坂を上ったところになることから、司馬遼太郎「坂の上の雲」の坂とは左内坂という説があるそうです。
「坂の上の雲」は、私が読んだ本の中で、もっとも良い本と思っていますが、思がいけなく「坂の上の雲」とも関係のある場所を見つけて驚きました。

