連載してきた定火消屋敷の最後になりますが、今日は小川町(おがわまち)の定火消屋敷について書きます。
小川町の定火消屋敷跡には、多くの建物が建っています。
その中で目印となるのが、東京電機大学の建物です。
東京電機大学が神田にあった頃は東京電機大学の15号館でした。
現在は、東京電機大学が千住に移転しましたが、東京電機大学の一部部局が神田に残っているようです。
小川町の定火消屋敷は、東京電機大学を含む美土代町交差点の南東角にありました。
そのため、東京電機大学は良い目印になります。
右写真は、美土代町交差点の北西角から撮った東京電機大学です。
定火消屋敷があった小川町は、現在は、美土代町の北側となっていますが、千代田区の地名由来板の説明によると次のように書かれていて、現在の美土代町も広い意味で小川町だったようです。
『江戸時代、小川町は神田の西半分を占める広大な地域をさす俗称だったようです。
古くは、鷹狩に使う鷹の飼育を行う鷹匠(たかじょう)が住んでいたことから、元鷹匠町(もとたかじょうまち)と呼ばれていましたが、元禄6年(1693)に小川町と改称されました。五代将軍綱吉が「生類憐みの令」を施行、鷹狩を禁止したため改称されたという話も伝わっています。
小川町の名前の由来は、このあたりに清らかな小川が流れていたからとも、「小川の清水」と呼ばれる池があったからともいわれています。江戸城を築いた室町時代の武将太田道灌はその風景を「むさし野の小川の清水たえずして岸の根芹(ねぜり)をあらひこそすれ」と詠んでいます。』
また、東京電機大学の前には「美土代町(みとしろちょう)」町名由来板があります。(右上写真)
それによれば、美土代町という町名は、明治5年に付けられた名前だそうで、この周辺に、かつて、伊勢神宮にささげるための稲を育てる水田「みとしろ」があったことにちなんで生まれた町名だそうです。
その町名説明板の地図を見ると、美土代町交差点角に火消屋敷があったことがわかります。(下写真参照)

また、町名由来板によれば、このあたりから江戸時代に丹前風呂が始まったと書かれています。
江戸時代の承応年間から明暦年間(1652~1657)の頃に遊女的な湯女がいる風呂屋が最盛期を迎えます。
その中で最も評判だったのが、丹前風呂です。
丹前風呂について、武江年表に「寛永の頃まで神田佐柄木町雉子町の続きに堀丹後守殿御屋敷あり、丹後殿前といふを略して丹前といふ。この辺風呂屋多く、美麗なる湯女もありて、ここに遊びける若人等のさまを歌舞伎に学びて丹前風といひし」と書かれています。
つまり、丹後守の屋敷前にあるということから「丹前風呂」と呼ばれたようです。
寛永9年版の「武州豊嶋郡江戸庄図」は佐柄木町のところに「堀丹後」と書き入れしてあるそうです。
湯女というのは江戸の風呂屋にいた女で、吉原の遊女は公娼でしたが、湯女は私娼でした。
丹前風呂の湯女の勝山は美貌の上に情も深く非常に人気がありました。この勝山は、後に吉原に移り大夫となっています。
この勝山が広めたものとして有名なのが、「勝山髷」と「丹前」です。
勝山が結った髪形は、勝山髷と呼ばれて江戸中の流行の髪形となりました。
また、勝山は、本来男物の「どてら」を改良した衣装をまといましたが、これも瞬く間に流行しました。これが現在も続いている「丹前」の始まりです。

