~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩① 品川駅編
土曜日は、毎日文化センターの講座で、旧東海道の品川宿を散歩してきました。
天気予報では、弱雨ということだったので、雨を覚悟していましたが、最終的には、雨に降られずラッキーでした。
品川宿散歩は次のように案内しました。
品川駅 ⇒ 八ッ山橋 ⇒ 問答河岸跡 ⇒ 土蔵相模跡 ⇒ 利田(かがた)神社 ⇒ 台場小学校 ⇒ 品川神社 ⇒ 品川交流館(休憩) ⇒ 品川宿本陣跡(聖蹟公園) ⇒ 荏原神社 ⇒ 問屋場・貫目改所跡 ⇒ 品川寺(ほんせんじ)⇒ 青物横丁駅
品川駅前に「品川駅創業之碑」という石碑があるのを御存知ですか? 日本初の鉄道は、明治5年の10月14日の新橋駅 - 横浜駅間ですが、実は、それより4か月早い明治5年6月12日)に品川駅と横浜駅間で仮開業しました。
そのため、品川駅は実質的に日本初の駅なのです。
「土蔵相模」は品川でも有数の規模を誇った旅籠で、屋号は「相模屋」だが、正面が土蔵のようななまこ壁で飾られていたことから通称「土蔵相模」と呼ばれました。
土蔵相模が、幕末史上で有名な二つの大事件つまり桜田門外の変の際に水戸浪士たちが惜別の酒宴を開いたことと御殿山のイギリス公使館焼き討ち事件の際に高杉晋作たちの集合場所となっていることで有名です。
明治になって「土蔵相模屋」という貸座敷になり、さらに「さがみホテル」となり、建物は昭和初期まであったが、現在ではマンションになっています。1階のファミリーマートが目印です。
品川神社は、北品川宿の鎮守で、源頼朝が安房国の洲崎神社から洲崎明神を勧請したのに始まり、その後、お稲荷様と天王様もお祀りしました。
徳川家康が関ヶ原の合戦へ出陣の祭に戦勝祈願し、戦勝後、仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿、品川区教育委員会の資料では家光が奉納したとなっている)が奉納されたといいます。
6月の品川神社例大祭は「北の天王祭」と呼ばれ53段の階段を神輿が下ります。
ただし、以前は明治時代に奉納された千貫神輿ともよばれる大神輿が石段を下ったが、最近は中神輿が階段を下り渡御しているそうです。
荏原神社は南品川宿の鎮守です。
現在は目黒川の北側にありますが、これは昭和3年に目黒川の川筋が変更されたもので、江戸時代には、目黒川の南側にありました。
『江戸名所図会』では、は貴船明神社(きふねみょうじんしゃ)となっていて、明治8年に、荏原神社と改称されたものです。
品川神社の例大祭が北の天王祭と呼ばれたのに対して、荏原神社の6月の例大祭は、南の天王祭と呼ばれ、勇壮な神輿の海中渡御で有名でした。
現在の社殿は弘化元年(1844年)のもので、170年を超えたものです。
品川寺「ほんせんじ」は、真言宗醍醐派の別格本山で、平安時代初期の創立です。
太田道灌が伽藍を建立し「大円寺」と称したが、江戸時代初期の承応元年に再興された際に「品川寺」と改めたといいます。
ご本尊は水月観音像といい、弘法大師(空海)が東国巡行中にこの地の領主品河氏に与え、同氏の滅亡後は草堂に安置されていたもので、絶対秘仏で、現住職も見たことがないそうです。
境内入口にある大きなお地蔵様は、宝永5年(1708)に江戸深川の地蔵坊正元が、浄財を集めて、江戸の入口6か所に造立した江戸六地蔵のうちの一つです。
品川宿散歩にご参加いただいた皆様、お疲れ様でした。
皆様のお蔭で雨にもたたれず、楽しい散歩となりました。
ありがとうございました。