今日から雑司ヶ谷霊園でご案内した有名人を紹介していきます。
まず、霊園では、目指す人がどこに眠っているのか探すのが大変ですが、雑司ヶ谷霊園では管理事務所に、霊園案内図がありますので、それを入手してからお参りすると良いと思います。
今日は、永井荷風のご紹介をします。
永井荷風は、明治から昭和を生きた小説家で、明治12年12月3日に永井久一郎の長男として生まれました。
成人して、アメリカで過ごし銀行勤めをしていたこともあります。
その後、フランスを経由し帰国しました。
この経験から、「あめりか物語」「ふらんす物語」を書いています。
明治43年、31歳の時に、慶応大学の教授に就任し、「三田文学」を創刊しています。
その後は、慶応大学で教鞭をとりながら、小説を書いていきます。
しかし、大正5年には、慶応大学を辞職します。
そして、新宿区余丁町の自宅の6畳間を断腸亭と名付けます。 胃が弱いことと庭に植えた秋海棠の別名断腸花からつけた名前です。ここから「断腸亭日乗」という作品が生まれます。
永井荷風は、散歩と江戸を愛しました。荒川放水路辺りを散歩しているときに見つけたのが玉の井です。東武線「東向島駅」は昭和62年まで「玉の井」という駅名でした。
このあたりに私娼街があり、そこにしばしば足を運びました。
そこでの経験をもとに書いた小説が、昭和12年、朝日新聞に連載されました。これが『濹東綺譚』です。
東京大空襲で自宅を焼失した後、各地を転居したのち、千葉県市川市に住みます。
当初は仮住まいでしたが、結局、市川市が終焉の地となり、昭和34年に自宅で亡くなりました。79歳でした。
この間、昭和27年には、文化勲章を受章しています。
永井荷風が訪れた寺に三ノ輪の浄閑寺があります。
浄閑寺は、吉原で亡くなった遊女が投げ込まれるように埋葬されたことから、投込み寺とも呼ばれています。
そうした境遇で亡くなった多くの遊女たちを慰霊するため本堂裏手に「新吉原総霊塔」が建立されています。(右が新吉原総霊塔)
この浄閑寺を何度も訪ねていた永井荷風は、死んだら浄閑寺に埋葬して欲しいと願っていました。
本当かしらと思うかもしれませんが、荷風の『断腸亭日乗』昭和12年6月22日に次のように記載されています。
「今日の朝30年ぶりにて浄閑寺を訪いし時ほど心嬉しき事はなかりき。近鄰のさまは変りたれど寺の門と堂宇との震災に焼けざりしはかさねがさね嬉しきかぎりなり。余死するの時、後人もし余が墓など建てむと思わば、この浄閑寺の塋域(えいき)娼妓の墓乱れ倒れたる間を選びて一片の石を建てよ。石の高さ五尺を超ゆるべからず、名は荷風散人墓の五字を以て足れりとすべし」
しかし、永井荷風の願いは叶うことができず、浄閑寺ではなく、雑司ヶ谷霊園の父の長井久一郎の墓の隣に埋葬されました。
父久一郎は 「禾原(かげん)」と号していたため、墓碑名は「禾原先生」となっています。
ただし、現在の墓碑は号が読み取れない状態になっています。
右上写真は、父の墓碑とならぶ永井荷風の墓碑
なお、荷風は本名壮吉といいますが、墓碑の裏面には本名が書かれています。
浄閑寺に眠りたいという荷風の願いは叶えられませんでした。
しかし、その願いに応えようと荷風没後4周年の昭和38年、谷崎潤一郎たち永井荷風を慕う後輩たちの手によって、「新吉原総霊塔」の向かい側に、「われは明治の兒ならずや」の一句を含む詩碑が造られました。
(右写真)
さらにその奥に小さな花畳型の筆塚が建てられました。(右下写真)
墓はありませんが、荷風の願いは叶ったことになるでしょう。
永井荷風の文学碑は横幅が大きな石碑です。そこには次のように刻まれています。
今の世のわかき人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の藝術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり。
(以下略)
また、文学碑の最後には次のように刻まれています。
明治・大正・昭和三代にわたり詩人・小説家・文明批評家として荷風永井壮吉が日本藝林に遺した業績は故人歿後益々光を加へその高風亦ようやく弘く世人の仰ぐところとなった 谷崎潤一郎を初めとする吾等後輩42人故人追慕の情に堪へず故人が生前「娼妓の墓亂れ倒れ」(故人の昭和12年〔1937〕6月22日の日記中の言葉)てゐるのを悦んで屢く杖を曳いたこの境内を選び故人ゆかりの品を埋めて荷風碑を建てた
荷風死去4周年の命日 昭和38年(1963)4月30日 荷風碑建立委員会
永井荷風が通った店として有名な店に浅草の「アリゾナキッチン」があります。
以前、お店を訪ねたことがありますので、その際の写真を掲載しておきます。
もう数年も前のことなので、現在は違っているかもしれませんが・・
【インターネットで検索していましたら2016年10月3日にアリゾナキッチン閉店という記事がありました。訪ねてみようと思われる方は、現在も営業しているかどうか、訪問前に確認されたほうが良いと思います。2016年11月17日追記】
アリゾナキッチンの創業は昭和24年でした。
永井荷風はその年の7月12日に初めて訪ね、以後永井荷風は、しばしば市川市の自宅から通い、肉料理二品とビールを注文したそうです。
店内には、ある日の永井荷風の写真が飾られていました。


