雑司ケ谷霊園に眠る有名人の第6回は、千葉定吉・重太郎父子です。
千葉定吉・重太郎は、管理事務所の東側の一画1-西6-5 に眠っています。
写真の左側が千葉定吉の墓碑で、右側が千葉重太郎の墓碑です。
千葉定吉は、北辰一刀流の創始者千葉周作の実弟です。
当然、北辰一刀流の剣術家です。
定吉の剣の腕は高く評価され、嘉永6年に鳥取藩の江戸詰の藩士として召し抱えられています。
北辰一刀流といえば、千葉周作のお玉ヶ池の玄武館道場が有名ですが、千葉定吉は京橋の桶町に道場を開き、「桶町千葉」と呼ばれました。
桶町の千葉道場は、現在の鍜治橋交差点近くにありました。
現在は、「千葉定吉道場跡」と書かれた中央区教育委員会の史跡説明板が立っていますので、「桶町千葉」がどのあたりにあったのかわかります。
しかし、昔は、説明板がありませんでした。
「桶町千葉」で剣術を習った最も有名な人物は坂本龍馬ですが、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が放映されたのは平成22年でした。
私が江戸の史跡案内を始めたのが、この頃からです。
この年に、江戸での坂本龍馬に関連する史跡の一つとして桶町の千葉道場跡を案内した時には、史跡説明板がなくて、案内するのに苦労したことがあります。
「龍馬伝」放映をきっかけに、この説明板が設置されたものだと思います。
右上写真が説明板ですが、正面の道路が鍛冶橋通りで、左に行くと鍛冶橋交差点、右に行くと京橋交差点です。二つの交差点のちょうど中ほどにあります。
説明板に書かれている地図(下の写真)では、五郎兵衛町の北側に千葉定吉と確かに書かれています。これが「桶町千葉」です。

説明板の向かい側の「ヒューリック京橋ビル」(右写真)辺りに、「桶町千葉」があったと思われます。
千葉定吉の隣に眠る千葉重太郎は、千葉定吉の長男です。
「桶町千葉」で剣術を習った最も有名な人物は前述したように坂本龍馬です。
坂本龍馬は、嘉永6年(1853)江戸に上り、土佐藩邸から近かった桶町千葉に入門しました。
桶町千葉で坂本龍馬が剣術指南を受けたのは主に重太郎であったと考えられています。
千葉重太郎も父親同様に鳥取藩に仕官しています。
坂本龍馬は、最初、暗殺しようとして勝海舟を訪れたが、逆に説得され、勝海舟の弟子となったという話は有名ですが、このとき、千葉重太郎も龍馬と一緒に勝海舟を訪ねてします。
大河ドラマ「龍馬伝」にも、その場面がありましたが、司馬遼太郎の名作『竜馬がゆく』にも描かれています。
私が持っている文春文庫『竜馬が行く』では第3巻に「勝海舟」という章があります。
勝海舟を暗殺すると言い出したのは千葉重太郎です。
千葉重太郎と坂本龍馬が赤坂氷川下の勝海舟の屋敷を訪ねます。
勝海舟は二人が暗殺のために訪ねてきたことを最初から承知していて、二人の機先を制した後、世界の情勢と日本が置かれている状況を説明します。
それを聞いても千葉重太郎は勝を斬ろうとしますが、坂本龍馬がその出鼻をくじいて海舟に弟子入りするという流れとなっています。
これほどまで龍馬と関係がある千葉定吉と重太郎ですが、案外名前は知られていないようなのがちょっぴり残念ですね。

