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夏目漱石(雑司ケ谷霊園に眠る有名人⑦)

雑司ケ谷霊園に眠る有名人の第7回は夏目漱石です。

c0187004_23353359.jpg夏目漱石のお墓は1‐14‐1 にあります。

漱石のお墓は大変大きい墓碑で、よく見るとイスの形をしています。 

夏目漱石は大正5129日に49歳で亡くなりました。

大正5年というのは西暦でいうと1916年です。今年は2016年ですから、今年は没後100年ということになります。

夏目漱石が生まれたのは、慶応3年(1867)です。つまり、明治になる前年に生まれました。

そのため、明治の年数が、そのまま漱石の年齢となります。

慶応3年は西暦でいうと1867年ですので、来年が生誕150年ということになります。

c0187004_23353878.jpgそうしたことがあって、先日NHKで「漱石の妻」というドラマが放映されたのだと思います。

これからも、漱石記念イベントがつづくことになりそうです。
 (右写真は早稲田の漱石公園入口にある漱石の銅像です。)

実は、慶応3年に誕生した人物は、漱石のほか、錚々たるメンバーがいます。

幸田露伴、正岡子規、尾崎紅葉は、すべて慶応3年生まれです。

こうした人たちも来年は生誕150年となるので、この人たちの記念イベントも続々あるものと思います。

夏目漱石は、明治の大文豪ですので、多くの本が出版されていますが、その中で『文豪・夏目漱石』(江戸東京博物館・東北大学編、朝日新聞社刊)を参考に、漱石についてかいていきたいと思います。

夏目漱石が生まれたのは、現在の早稲田です。

c0187004_23500168.jpg東京メトロ「早稲田駅」の2番出口の道路を挟んだ東側にある小倉酒店の隣が漱石の生家があった場所です。

右写真の中央の道路が「夏目坂」です。
 その左手にあるのが小倉酒店です。

生家跡にも、「夏目漱石誕生之地」と刻まれた石碑が建っています。(右下写真)

17歳のとき、大学予備門(のちに第一高等中学校と改称)に入学し、23歳のとき、東京帝国大学英文学科へ入学します。

26歳のとき同大学同学科を卒業した後は、東京高等師範学校の英語嘱託をへて、明治28年(1895)松山の愛媛県尋常中学校に英語科教師として赴任し教鞭をふるう。松山時代に、貴族院書記官長中根重一の長女中根鏡子と見合いをし、翌年、熊本県の第五高等学校講師として赴任してから、結婚し、熊本で新婚生活をはじめます。

c0187004_23500599.jpg33歳のとき、漱石は文部省から英文学研究のため英国留学を命じられます。しかし、ロンドン滞在中、神経衰弱となり文部省から帰国を命じられ、明治36年(1903)に急遽帰国しました。

帰国後、漱石は 小泉八雲の後任として東京帝国大学英文科講師となります。

しかし、漱石の硬い講義は生徒に不評で、「八雲留任運動」が起こるなどしたため、漱石は神経衰弱を再発させてしまいます。

そのような中、『ホトトギス』を発行していた高浜虚子から小説を書くようにすすめられて38歳のとき書いたのが「吾輩は猫である」です。

そして、明治40年(190740歳のとき、一切の教職を辞し朝日新聞社へ入社し、本格的に職業作家としての道を歩み始めます。

c0187004_23551248.jpgこの頃、漱石は早稲田南町に引っ越しますが。これが終の棲家となります。

この家は、のちに「漱石山房」と呼ばれ、多くの若い文学者たちが集まりました。

漱石の住まいだったところは、現在漱石公園となっています。
 (右上写真)

c0187004_23354295.jpgそこには、漱石生誕150年を期して漱石山房記念館が建設中です。
 (右写真が、完成模型図です。漱石公園内の道草庵に中に展示されています)

来年9月に開館する予定だそうです

漱石は43歳のとき、「門」の執筆中胃潰瘍を患い、転地療養のため修善寺温泉へ赴くが、そこで大量に吐血し、危篤状態に陥ります。これが俗に「修善寺の大患」と呼ばれ大変有名な事件です。

その後、容態が回復し東京へ戻りますが、以後、漱石は胃潰瘍が何回か再発し、ついに胃潰瘍で命を落とすことになります。

『文豪・夏目漱石』によれば、なくなる20日ほど前の1121日に辰野金吾の子供の結婚披露宴で漱石の大好物のピーナツが出ました。

いつもはピーナツを食べるのをうるさく禁止していた奥さんと席が離れたのを幸いにピーナツを食べすぎて翌日から体調をくずし、ついに大正5年(1916)12 月9日「明暗」執筆途中に胃潰瘍により亡くなりました。49歳でした。

「漱石の妻」に描かれていた奥さんも一緒にこのお墓に眠っています。

鏡子夫人は、よく悪妻といわれます。「漱石の孫」の中でも、夏目房之介氏は「鏡子夫人は『悪妻』のレッテルを貼られていると父などから聞いていた」と書いています。

しかし、『文豪・夏目漱石』や『漱石の孫』によると必ずしも「悪妻」ではなかったようです。

『文豪・夏目漱石』によれば、ロンドン留学から帰った時期は漱石自身も強度の精神衰弱となり家庭内暴力を振るったため、妊娠中であった鏡子は一旦実家に帰りますが、漱石が精神病だと医者から聞かされた鏡子夫人は、病気なのであれば看病のため一生添え遂げようと決心し家に戻ったそうです。

これは「漱石の妻」にも描かれていましたね。

また、『漱石の孫』には「鏡子夫人は、漱石とちがって、長命だった。亡くなったのは僕が中学生になってからだから、祖母の人となりよくおぼえている。僕や従弟たちは「おばあちゃま」とよんで親しんだ。(中略)にこにこして、物にあまり動じない人のようにおぼえている」と書いてあります。

孫たちにはよいお祖母さんだったようで、悪妻というイメージはないようです。
 「漱石の妻」を見て、鏡子夫人のイメージが変わった人もいるかもしれません。




by wheatbaku | 2016-11-28 23:32 | 大江戸散歩

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