東海寺に眠る人々の5回目は賀茂真淵です。
東を向いた鳥居が建てられていますので、容易に見つけられます。
賀茂真淵は、国学の大家です。
国学というのは、中国の書物を研究する漢学に対して、古事記・日本書紀・万葉集などの日本の古典を研究する学問です。
江戸時代の初期の契沖を祖とし,荷田春満 (かだのあずままろ) ,賀茂真淵を経て本居宣長によって完成され、平田篤胤が発展させました。
これらの人々のうち、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤を四大人(しうし)と言います。
賀茂真淵はこのように国学の大家であるため、お墓は神式のお墓になっています。
賀茂真淵は、元禄10年遠江国敷智(ふち)郡浜松庄伊場村(今の浜松市中区東伊場)に生まれました。
生家は賀茂神社の神職岡部家の分家で,岡部家は京の賀茂神社の摂社の神職を始祖とするとされています。
賀茂真淵は従兄の岡部政長の養子となりますが、妻と死別したため実家にもどり,享保10年浜松の脇本陣梅谷家の養子になりました。
享保18年に京都に上り荷田春満を先生として国学を学びました。
しかし、師匠の春満が死去したため、一旦浜松へ戻った後、江戸に出て、国学の研究と弟子の育成に専念しました。
真淵は、特に『万葉集』の研究に力をそそぎ、その研究は、『万葉解』『万葉考』にまとめられています。
その他に真淵は、『語意考』『歌意考』『国意考』『文意考』『書意考』のいわゆる『五意考』などがあります。
賀茂真淵が教えた弟子は300人を超えると言われています。
有名な門人として、8代将軍徳川吉宗の次男で御三卿の一人田安宗武や楫取魚彦、加藤千蔭、村田春海らがいます。
そのほか、塙保己一、平賀源内なども賀茂真淵に教えを乞うています。
弟子の中で特に有名なのが本居宣長です。
本居宣長が、宝暦13年、伊勢神宮の旅の途中伊勢松阪の旅籠に宿泊していた真淵を訪れ、生涯一度限りの教えを受けた話は、「松阪の一夜(ひとよ)」」として大変有名です。
第二次世界大戦終結までは、小学校の国語教科書に載っていて、戦前の人々には有名な話でした。
賀茂真淵、明和6年(1769)73歳でなくなりました。