昨日、獏塾江戸散歩が行なわれ、高輪から田町まで散歩してきましたので、今日はその様子をアップします。
獏塾江戸散歩は、獏塾の塾生が案内してくれる江戸散歩です。
昨日は、加州そうせい公さんが資料を作成してくれて、地元田町で生まれ育ったヤマトヤおじさんが案内してくれました。
昨日は、快晴でした。しかし、風が強めで前半は少し苦労しましたが、後半は風もおさまってきて、楽しい散歩となりました。
加州そうせい公さんとヤマトヤおじさんありがとうございました。
参加された塾生の皆さんお疲れ様でした。
昨日のコースは、都営地下鉄「泉岳寺駅」に集合し次のコースで散歩してきました。
【ルート】➀「高輪大木戸跡」➡②「願生寺」➡③「御田八幡神社」➡④「元和のキリシタン殉教碑」➡⑤「札の辻」➡⑥「港郷土資料館(見学と休憩)」➡⑦「西郷・海舟会見の地」➡⑧「本芝公園(雑魚場・芝浜)」➡⑨「酒蔵見学」➡⑩「西応寺」⑪「七曲り」➡⑫「薩摩藩邸跡(芝さつまの道)」➡⑬「水野家屋敷跡」
それでは、主な散策地点を紹介していきます。
「高輪大木戸跡」
高輪大木戸は、天和3年、芝口門(札の辻)にあった高札場がここに移され、さらに、宝永7年(1710)芝口門が新橋に移されるとともに、新たに道幅約6間の東海道の両側に石垣を築き木戸を設けて江戸の南の出入り口として治安維持と交通規制の役割を担った大木戸です。
「願生寺」
高輪大木戸から見ると第一京浜を挟んだ西側から少し品川駅寄りに「願生寺」というお寺があります。
この願生寺の境内に「牛供養塔」があります。
この辺りは、江戸時代は「車町」または「牛町」と呼ばれた町で、牛車を扱う人たちが住んだまちです。
それを知る唯一の資料として残されたものが「牛供養塔」です。
牛供養塔は車町の牛屋7家によって、牛供養のため元文3年(1738)に建立されたのが初めで、現在のものは文政11年(1828)に建立されたものです。
「元和のキリシタン殉教碑」
「元和のキリシタン殉教碑」は、住友不動産三田ツインビルの裏側にあります。
しっかり整備されているのですが、意外と知られていないようです。
「元和のキリシタン殉教碑」は、徳川家光が元和9年(1623)12月4日、イエズス会のデ・アンジェリス神父、フランシスコ会のガルベス神父、ジョアン原主水をはじめとする50人のキリシタンを処刑した刑場の跡です。
江戸時代の切絵図では、ここは智福寺となっていますが、寺が建立される以前は処刑場で、そこに寺を建てることで罪人が浮かばれると考えたそうです。
「西郷南洲・勝海舟会見の地」
慶応4年(1868)3月15日の新政府軍による江戸城総攻撃の前日の14日勝海舟と西郷隆盛が会見し、江戸城の無血開城が決定された場所です。
西郷隆盛と勝海舟の会見は、3月13日と3月14日の2回行われています。
3月13日は、現在はSHINAGAWA GOOS(シナガワ グース)となっている薩摩藩の高輪の屋敷で行われ、3月14日の会見が田町にある薩摩藩の蔵屋敷で行われました。
13日は、両雄が久闊を叙す程度の話し合いで終わり、本格的な交渉は3月14日に行われ、江戸城総攻撃が中止されました。
「本芝公園(雑魚場・芝浜)」
現在本芝公園のある場所は昭和39年頃まで漁船の入る入江になっており、昭和45年に運河を埋め立てて造られました。
魚市場本芝組の雑魚場(ざこば)として江戸前の魚介類が豊富に揚がり浅草海苔の生産地としても有名でした。
古典落語の中でも屈指の人情噺として知られる「芝浜」の舞台にもなっています。
ヤマトヤおじさんの説明では、オリンピックの頃には、まだ漁船が停泊していたそうです。地元で生まれ育った人ならではの説明がありました。
「薩摩藩邸跡(薩摩小路)(芝さつまの道)」
薩摩藩の上屋敷は約2万2千坪(2万1785坪)もありました。
現在の三井住友信託銀行とセレスティンホテルの間に、その薩摩藩上屋敷の説明板が設置されています。
この薩摩藩上屋敷には、天璋院篤姫も、13代将軍家定に輿入れするために江戸に出てきた際に、一時期滞在していたこともあります。
また、慶応3年12月25日に起きた薩摩藩邸焼討事件の現場でもあります。
薩摩藩の挑発にのった旧幕府は、庄内藩を中心とした軍勢で薩摩藩邸を焼討し、これが鳥羽・伏見戦争を引き起こすきっかけとなりました。
最後はお楽しみの懇親会、すでに日本酒の試飲会で一杯呑んでいますが、まだまだ呑み足らない参加者が参加してくれました。



