そのため、今週は講座の準備で大わらわです。
そのため、ブログの更新もままならない状況ですが、あまり更新しないのもよくないので、更新しました。
今日は、雑司が谷の本納寺に眠る井上井上正就についてご案内します。
本納寺は、慶安3年(1650)、威光山法明寺の御住職によって創建されました。
本堂(右写真)裏側の墓域の中に、浜松藩井上家の墓所があり、初代清秀から4代正利までお墓があります。
井上正就は、初代清秀の三男として生まれました。
右写真の左端が初代清秀の墓で、右から2番目が正就の墓です。
正就は、若い頃から2代将軍秀忠の傍に仕えました。
元和元年には1万石の知行を賜り、小姓組の番頭となり、大坂の陣でも手柄を立てています。
元和8年に加増があり、5万2500石で横須賀城を賜っています。そして、この時に老中となりました。
しかしながら、寛永5年、老中在任中に江戸城西の丸において,目付豊島信満に殺害されました。
江戸城内での刃傷事件としては、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた事件が大変有名ですが、これ以外にも江戸城内の刃傷事件は数回おきています。
豊島信満による井上正就の殺害は、江戸城内でおきた最初の刃傷事件です。
原因は豊島信満が一旦まとめた正就の嫡子・正利の縁組が破談とされたことを恨んだためといわれています。
豊島信満もその場で自害し、豊島家は断絶となりました。
なお、豊島信満の家柄は、前回ご案内した豊島忠次の豊島家とは別流のようです。
井上家は特にお咎めはなく、正就の嫡男正利に家督が継がれています。