新撰組ゆかりの地を行く
先日の京都旅行では、テーマをいくつか考えて、そのテーマゆかりの地を巡ってきました。
そのテーマは、「新選組」「禁門の変」「薩長同盟」「鳥羽伏見の戦い」など幕末に関係するものです。
そこで、これから、テーマにそって、書いていきますが、最初に新選組について書いていきます。
今日は、まず、先日巡ってきた「新選組ゆかりの地」を一挙に紹介していきます。
新選組といえば、「壬生」ということになりますが、京都駅から地下鉄と近鉄を乗りついて四条大宮まで行き、そこから歩いていきました。
1、光縁寺
光縁寺は、四条大宮駅から壬生へ行く途中にありますが、四条大宮駅から南に下り一本道の道を西に歩いていくと北側をにあります。
光縁寺には、山南敬介ほかのお墓があります。
しかし、このお寺は観光客は入寺お断りとなっていて、山南さんのお墓参りの人だけ入寺可能と門前に書かれています。
「山南敬介さんのお墓参りさせてください」とお願いしたら、御住職は快く許可してくださいました。お話が好きなきさくな御住職でした。
山南敬介は新撰組の総長でしたが、逃亡を図ったものの見つかり、切腹して果てました。
2、旧前川邸
新選組の屯所として使用されました。
壬生の前川家の本家は、六角の前川家で、前川家はもともとは糸割賦人として財力を蓄えた家系だったそうです。
この旧前川邸は、現在は株式会社田野製袋所となっていて、住居兼工場として利用されています。
そのため、平日は公開されておらず、土日祝日のみ新選組グッズの販売がされています。
3、八木邸
新選組の屯所として使用されました。
八木邸で、芹沢鴨が暗殺され、その座敷も残されていて、ガイドによる案内も行われています。
芹沢鴨襲撃時に鴨居についた刀傷や芹沢鴨が逃れようとした際につまづいた文机も見ることができます。
八木家は、壬生村に住む郷士でしたが、現在の八木家は、八木邸の前で「御菓子司 京都鶴屋」を経営しています。
八木邸の見学は、入り口脇にある鶴寿庵」での屯所餅と抹茶セット付きで100円です。
右写真がが屯所餅と抹茶セットです。
八木家見学の後にいただきました。
屯所餅には、壬生菜が刻みこんでありましたが、餅にマッチしていて美味しかったですね。
4、新徳寺
浪士組は、清河八郎の建言により結成されたものですが、浪士組が京都に到着した際に、清河八郎の宿舎にあてられました。
清河八郎が、到着した日に本当の狙いは尊王攘夷であるという大演説を行ったお寺です。
5、壬生寺
壬生寺は平安時代の正暦2年(991)に創建された古刹で、壬生狂言で有名なお寺です。
新選組は、ここで武芸の訓練等を行ったそうです。
本堂に向かって右手に阿弥陀堂がありますが、その東側が壬生塚となっています。
壬生塚には、近藤勇の胸像( 写真)や遺髪塔のほか、芹沢鴨・平山五郎の墓、野口武司たちお墓などがあります。
ただし、この壬生塚に入るには200円の入場料がかかりますので、阿弥陀堂の中で払ってはいります。
芹沢鴨・平山五郎が 八木邸で暗殺された翌日、盛大な葬儀が行われた後、壬生寺前にあった壬生村の共同墓地に埋葬され、その後。壬生寺境内に改葬されたものだそうです。
6、島原 角屋
新選組でもしばしば使用しました。
文久3年6月には、近江水口藩と新選組との関係が悪化した際に、水口藩が新選組を招待して宴席を開きました」。
この際に、酔っ払って暴れ出した芹沢鴨が、酒樽の栓を次々に叩き落とし、一面を酒びたしにするという狼藉を犯したりしています。
こちら、既に紹介した角屋の松の間です。
芹沢鴨が暗殺された日には、下段の松の間で新選組隊士を集めた大宴会が開かれました。
芹沢鴨は、左手奥の床の間あたりに座って酒を呑んでいたのでしょうと説明がありました。
角屋の玄関脇には、新選組の隊士が傷つけた刀傷が残されていました。
7、池田屋
三条小橋近くの旅籠池田屋に集合していた尊王攘夷派の浪士たちを急襲し、多くの志士が殺傷された事件です。
現在の池田屋は、はなの舞となっています。
この写真でははっきりしませんが、階段を登りきると、下段の写真のように、新選組隊士が待ち受けています。

はなの舞でのランチサービスには、次のように新選組隊士の名前がつけられています。
「土方歳三」
「沖田総司」
「斉藤一」
「藤堂平助」
「原田左之助」
「山南敬介」
右上写真は、私が注文した「土方歳三」です。値段は1200円で、それ以外は980円でした。










