第3回「幕末・維新 これは覚えてね!」模試正解
今日は、第3回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験の正解をアップします。
今回10問だと思っていましたら、第5問が重複しているとメールでご指摘をうけました。どれかカットしようとも思いましたが、カットすべき問題もなかったので、11問のままにしておきました。
1、①天狗党
天狗党の乱は、水戸藩の尊王攘夷派のうちの劇派(急進派)が起こした事件です。
天狗党という名前は天保の頃から水戸藩改革派の武士が天狗とよばれたことに由来します。
文久4年3月に藤田東湖の子藤田小四郎らが筑波山に挙兵しました。これに農民ら約1000人が加わり、下野、下総、常陸各地で戦闘が行われました。水戸藩や幕府の追討を受けた天狗党は武田耕雲斎をリーダーとして中山道を西上しましたが、ついには、加賀藩に降伏し、翌年、多くの人が斬罪となりました。
参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P105、
『カラー版徹底図解 幕末・維新』P84
2、②近藤は斬り込んだが土方は現場にいなかった
尊王攘夷派が京都を焼き討ちするという情報をつかんだ新選組は、不逞浪士の探索を始めようとするものの、浪士たちがどこにいるかはわかりませんでした。
そこで、祇園会所に集まった新撰組は、祇園周辺をしらみつぶしで探していくことにし、近藤勇をリーダーとする組と土方歳三をリーダーとする組に分け、近藤組は鴨川の西側を探索しながら北上し、土方歳三の組は鴨川の東側を探索していきました。
池田屋に尊攘派志士が集合しているのを探知したのは近藤組でした。近藤勇は、土方歳三の組を待つ選択肢もありましたが、集合している志士たちがいなくなるのをおそれ、近藤は土方をまたずに単独で池田屋に斬りこみました。
参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P106、
『カラー版徹底図解 幕末・維新』P86
3、④池田屋に行ったが早すぎたので対馬藩邸に行った。
桂小五郎は、『逃げの小五郎』と呼ばれていました。その代表例として語られるのが、池田屋事件で難を逃れたことです。
池田屋事件では、桂小五郎は、池田屋に行ったものの早すぎたので近くの対馬藩邸にいったので難を逃れたと言われていますが、これは桂小五郎の回想録『桂小五郎京都変動ノ際動静』に書かれているようです。
翻刻されているものがないか探しましたが、翻刻されたものはなさそうですので、『カラー版徹底図解 幕末・維新』P86でご確認ください。
なお、中公新書『幕末史』(佐々木克著)P149に、木戸は屋根伝いに逃げて難を逃れたと書いてありますが、これは当時の長州藩京都留守居役乃美織江の藩への報告書に基づいた説だと思われます。
4、②宮部鼎三(ていぞう)
宮部鼎三は、山鹿流兵法を学んだ肥後藩兵法師範で、江戸で吉田松陰と知り合い松陰の東北周遊にも同行しました。肥後勤王党の中心人物で、京都で活動し、八月十八日の政変で長州へ退去した後、京都に潜入して活動する中で、池田屋事件に遭遇しました。
選択肢①吉田稔麿(としまろ)は松下村塾の塾生で松門四天王の一人です。
③望月亀弥太は土佐藩脱藩浪士、④北添佶磨(きつま)は土佐出身者、二人とも坂本龍馬の仲間です。
参照:『カラー版徹底図解 幕末・維新』P86
5、④高杉晋作は慎重論で久坂玄瑞が進発論
禁門の変の経緯について今週のブログに書き、本件についても触れましたので、ブログを読まれた方は、正解がお分かりだと思います。
久坂玄瑞は、上京すべきだという進発論でしたが、高杉晋作は、一貫して慎重論でした。
参照:中公文庫『開国と攘夷』(小西四郎著)P363、
中公新書『幕末の長州』(田中彰著)P120
5、③天龍寺
これもブログに書きましたので正解はお分かりだと思います。
3月に訪ねた時には、残念ながら非公開でしたので、山門だけ写真に撮ってきました。(右上写真)。
参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P112、
『カラー版徹底図解 幕末・維新』P113
6、②鷹司家
これもブログに書いた通りです。
堺町御門から乱入しようとした久坂玄瑞は、越前兵に阻まれ、右に折れて、鷹司邸の裏門から屋敷に入り、参内しようとする前関白鷹司輔煕に嘆願の儀があるので参内のお供にとお願いしたが叶わず、敵との砲撃が始まる中で、銃撃で左膝を負傷し、鷹司邸で自刃をした様子が『花冠の志士』(古川薫著)にビビットに描かれています。
参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P112
7、④西郷隆盛
これはもう基礎知識中の基礎知識です。西郷隆盛は、沖永良部島への流罪を許されて鹿児島に戻るとすぐに上京し薩摩藩の京都派遣軍司令官ともいうべき軍賦役を命じられ、禁門の変では、薩摩藩兵を指揮し、長州藩追討に大きな働きをしました。その働きを認められて参謀に任命されたものだと思われます。
参照:『カラー版徹底図解 幕末・維新』P98
8、①英米仏蘭
四か国連合艦隊の下関砲撃は基礎的な知識でもあり、重要事項でもあります。
しかし、四か国とはどこかと問われると答えられなく困ることがありませんか。
そういうこともありはしないかと考えて出題しました。
答えられなかった方は、これは基礎知識ですので、しっかり覚えておいてください。ロシアが含まれていないということがポイントです。
参照:『カラー版徹底図解 幕末・維新』P96
9、③魔王のようだ
直接の典拠とした『カラー版徹底図解 幕末・維新』P96に、問題文と同様に書いてあります。さらに、講談社文庫『高杉晋作』(池波彰一郎著)や人物文庫『高杉晋作』(三好徹著)を見ると『魔王のように傲然としていた』と書いてありますので、選択肢は「魔王のようだ」としました。
しかし、岩波文庫『一外交官が見た明治維新』では、「使者は艦上に足を踏み入れた時には悪魔のように傲然としていた」と書いてあり、微妙にニュアンスが違っていることを付記しておきます。
10、①功山寺
長州藩は、一貫して討幕派であったような印象を持っている人もいると思いますが、長州藩の藩論が一貫して倒幕論であったわけではありません。
特に、第一次長州征伐と四か国連合艦隊の攻撃を受けた時には、藩政は俗に「俗論派」と呼ばれる幕府に恭順を示す人たちが主導権を握っていました。
これに対して、高杉晋作は、俗論派から藩政を奪還するため、約50人の少数で決起しました。これが「功山寺挙兵」と呼ばれます。
当時、功山寺には長州に下っていた五卿が潜居していました。
現在の功山寺境内には馬上姿の晋作の銅像があるそうです。
選択肢②了円寺は、功山寺で決起した高杉晋作たちが、新地会所襲撃後にたてこもった寺です。③桜山神社は、高杉晋作の発議により創建された殉国の志士の神霊を祀る招魂場です。④東行庵には、高杉晋作の墓があります。
参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P119、
『カラー版徹底図解 幕末・維新』P98
以 上


