高杉晋作、そして久坂玄瑞の辞世
鳥羽伏見の戦い関係の記事は、一段落したので、今日は、高杉晋作と久坂玄瑞の辞世について書きます。
高杉晋作の辞世として有名なのが次の句です。
「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」
しかも、高杉晋作が「面白きこともなき世を面白く」と詠んだが、その後が続かないので、そばにいた野村望東尼が、「住みなすものは心なりけり」と続けたと言われています。
司馬遼太郎の「世に棲む日日」では、次のように描かれています。
晋作はずっと昏睡状態にあったが、夜がまだ明けぬころ、不意に瞼をあげてあたりを見た。意識が濁っていないことが、たれの目にもわかった。晋作は、筆を要求した。枕頭にいた野村望東尼が紙を晋作の顔のそぼにもってゆき、筆をもたせた。晋作は辞世の歌を書くつもりであった。ちょっと考え、やがてみみずが這うような力のない文字で、書きはじめた。
おもしろき こともなき世をおもしろく
とまで書いたが、力が尽き、筆をおとしてしまった。晋作にすれば本来おもしろからぬ世の中をずいぶん面白くすごしてきた、もはやなんの悔いもない、というつもりであったろうが、望東尼は、晋作のこの尻きれとんぼの辞世に下の句をつけてやらねばならないとおもい、
「すみなすものは 心なりけり」
と書き、晋作の顔の上にかざした。望東尼の下の句は変に道歌めいていて晋作の好みらしくはなかった。しかし晋作はいま一度目をひらいて、しかし晋作はいま一度目をひらいて、
「……面白いのう」
と微笑し、ふたたび昏睡状態に入り、ほどなく脈が絶えた。
高杉晋作の辞世は江戸検1級でも出題されています。
第2回の第90問は次のような問題です。
【90】慶応3年(1867)4月14日、29歳で下関に没した幕末の志士、高杉晋作の辞世の句は、次のうちどれでしょう? ただし、下の句は死の直前まで看病にあたっていた野村望東尼の作といわれています。
い)身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも とどめ置かまし 大和魂
ろ)おもしろき こともなき世をおもしろく すみなすものは 心なりけり
は)世の人は われを何とも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞ知る
に)君が為め 尽くす心は 水の泡 消えにし後は 澄みわたる空
しかし、高杉晋作についての評伝を読むと、この「おもしろき こともなき世をおもしろく」の句は、臨終の際に詠まれたものではないという説がかなり強く主張されています。
例えば、人物叢書『高杉晋作』梅溪昇著P302には次のように書かれています。
晋作の辞世の句として、「面白キ事モナキ世ニヲモシロク 住ナスモノハコヽロナリケリ」が人口に謄灸しているが、一坂太郎の指摘したように、その歌は「丙寅(慶応二年)未定稿五十首国歌十首」と題されたなかにまとめられているもので、臨終の際に作られたものとはいえない。
また、ミネルヴァ日本評伝『高杉晋作』海原徹著P248には次のように書かれています。
辞世の歌として人口に謄炎した作品、晋作がまず、「面白き事もなき世におもしろく」と上の句を綴り、これに望東尼が、「住みなすものは心なりけり」と続けて完成した歌は、二、三の先行研究が言うように、同居が始まった慶応二年暮頃の作らしく、臨終の席で慌しく作られたものではない。
『高杉晋作のすべて』(新人物往来社刊)に載っている「高杉雅子の回想」では、晋作の妻雅子は次のように語っています。
井上さんや福田さんに向っていつも『ここまでやったのだからこれからが大事じゃ。しっかりやって呉れろ。しっかりやって呉れろ。』と言い続けて亡くなりました。いいえ家族のものには別に遺言というものはありませんでした。『しっかりやって呉れろ』というのが遺言といえば遺言でございましょう。
これらを読むと、高杉晋作の辞世と言われてきた「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」は慶応2年に詠まれたもので、高杉晋作が亡くなったのは慶応3年4月14日であり、亡くなる際に詠まれたものでないということのようです。
こうしたことから、辞世を臨終の際に詠んだものと定義すれば、「面白きこともなき世を面白く」は、辞世ではないということになります。
このことが分かりましたので、同じようなことが久坂玄瑞の辞世にも言えるのではないかと思います。
久坂玄瑞の辞世の句についてインターネットで検索すると
「ほととぎす ちになくこえはありあけの つきよりほかに しるひとぞなき」
が辞世の句として出てきます。
しかし、久坂玄瑞全集で、この句を調べると、この句が出てくるのが『萬延辛酉初春文久 江月斎日乗』という久坂玄瑞の日記の中の12月晦日の中に記されています。
辛酉の年は、萬延2年(途中で改元されて文久元年となりました)ですので、この句は、文久元年(1861)の12月30日に詠まれた句だと思われます。
ちなみに江月斎というのは久坂玄瑞の号です。
久坂玄瑞は、元治元年(1864)7月19日の禁門の変の際に、鷹司邸で自刃して亡くなっています。
つまりインターネットで辞世の句と言われている句は、亡くなる2年半も前に詠まれた句です。
なくなる2年半も前に詠んだ句が辞世の句となるのか疑問に思いましたので、以前、久坂玄瑞の辞世の句について問い合わせたことのある萩博物館に確認させていただきました。
その回答は、「『ほととぎす ちになくこえはありあけの つきよりほかにしるひとぞなき』の句は、文久元年に詠まれているので、久坂玄瑞の辞世の句ではありません」という単純明快な回答でした。
「新たな発見!」です。

