油小路の変
伊東甲子太郎の暗殺は、油小路の変と言われます。
しかし、油小路の変の変は、これで終わりではありませんでした。
伊東甲子太郎の暗殺は油小路の変の第一幕でした。
この後、第二幕がありました。
近藤勇は伊東甲子太郎を暗殺するだけでなく、伊東甲子太郎の死体を油小路七条に放置し、高台寺党の面々をおびきだし、殲滅しようとしました。
そこで、近藤勇は、死体を駕龍で油小路七条の辻に運んで路上に放置し、町役人に命じてその遺体が油小路七条の辻にあることを月真院に急報させました。
下写真が、現在の油小路七条の交差点です。
縦が南北に通る油小路です。道幅がまり広くないことがわかると思います。多くの車が通行しているのが七条通りです。

一方で、沖田総司、永倉新八、原田左之助に20人程の隊士を率いて待ち伏せるよう指示しました。
伊東甲子太郎が殺害されたという連絡は、月真院の高台寺党に町役人によってもたらされました。
土佐浪士と口論の末に、斬られ、遺骸は七条油小路に放置されたままであるから、引き取りに来て欲しいという内容でした。
この時月真院にいた高台寺党の隊士は7人だけでした。
藤堂平助、そして伊東甲子太郎の弟の鈴木三樹三郎、篠原泰之進、服部武雄、加納鵬雄、富山弥兵衛、毛内有之進の7人です。
7人は、ただちに、油小路に飛んで行きました。ところが、あたりには人影はなく、伊東甲子太郎の死体だけが放置されていました。
高台寺党の面々は、駕籠に収容しようとした時に、20人と超える新選組隊士から一斉に襲撃されました。
新選組は、鎖帷子で万全に防護していました。それに対して、高台寺党側は、普段の服装でした。
多勢に無勢。しかも、新選組は、完全武装。高台寺党に勝ち目はありませんでした。
乱戦のなかで討ち死にした者は、藤堂平助、服部武雄、毛内有之進の3人。
残る鈴木三樹三郎、加納道之助、富山弥兵衛、篠原泰之進の4人はからくも脱出しました。
そして、新選組は、襲撃は土佐藩士のしわざとみせて、残りの高台寺党の人々をおびき出すために死骸を4日間そのまま放置しておきました。
しかし、ついに残りのメンバーが現れなかったため、5日目に収容して光縁寺に葬りました。その後、伊東甲子太郎たちの遺骨は泉涌寺塔頭戒光寺に改葬されました。

