長岡藩主牧野氏(北越戦争レポート③)
長岡藩の藩主は、牧野氏です。今日は、牧野氏について書いていきます。
牧野氏が長岡藩主になったのは、元和4年(1618)のことで、牧野忠成が長岡藩初代藩主として入封しました。それ以降廃藩置県まで、約250年間、牧野氏は長岡藩を統治しました。
250年間にわたって、同じ領地を治めていた大名は、御三家や外様大名はともかく譜代大名ではあまりいないのではないでしょうか。すぐに思い当たるところでは、彦根藩井伊家ぐらいでしょうか。
牧野氏は、元々は三河国牛久保城を拠点とした家系です。
牧野氏は、東三河の有力豪族で、戦国時代には、西三河の松平氏と競いあうほどでした。
しかし、桶狭間の戦いの後、徳川家康が台頭するようになり、徳川家康の家来となり、天下統一に貢献します。
そのため、長岡藩では初代牧野忠成の父牧野康成を家康17神将の一人としています。
牧野康成は、家康の関東入封に際に上州大胡城主となり、その子牧野忠成が、元和4年(1618)越後国長峰から長岡に入封しました。それ以降、13代にわたって長岡を治めました。下写真は、牧野家の家紋「丸に三つ柏」です。

大名となった牧野氏は幕末には五家ありました。
長岡藩7万4千石、笠間藩8万石、丹後田辺藩3万5千石、小諸藩1万5千石、三根山藩1万1千石です。
この五家の本家が長岡藩牧野氏でした。
笠間藩初代牧野成貞は、忠成の甥にあたります。牧野成貞は5代将軍綱吉の側用人として有名です。
丹後田辺藩は忠成の従弟の牧野親成が藩祖です。小諸藩は忠成の次男康成、三根山藩は忠成の四男定成を藩祖とします。
一族で大名が五家もある家はあまり多くありません。それだけ牧野氏一族が栄えたということになります。
長岡藩牧野氏には、暗君はいなかったようですが、3代忠辰(ただとき)は、特に名君として尊敬されています。
5代将軍綱吉の代に、越後国高田藩松平光長が取り潰されました。その際の高田城受取の大役を無事に果たしています。
この忠辰は、華美な風を否定、質素倹約の藩政を行いました。それを象徴するのが「十分杯(じゅうぶんはい)」です。
「十分杯」とは八分目までなら普通に使えますが、並々注ぐと底の穴から1滴残らず流れ出てしまう酒器です。
「物事は八分目くらいの余裕をもって行動すれば万事うまくいくもの」と説いて自らを戒め、家来をも戒めたと伝えられています。
この十分杯は、長岡市郷土史料館に展示されています(下記写真)。なお、郷土史料館は、写真撮影OKでした。

牧野氏は、江戸時代中期までは、幕閣となった藩主はいませんが、江戸時代後期になると、3代にわたり幕府の老中を輩出します。
9代藩主の牧野忠精が享和元年(1801)、10代藩主の牧野忠雅は天保14年(1843)、11代藩主牧野忠恭は、文久3年に老中に就任しました。
10代藩主牧野忠雅は、ペリー来航した時には、海防掛の老中でしたので、開国問題で苦労したことだと思いますが、阿部正弘のほうがクローズアップされていますね。
河井継之助が仕えたのが11代藩主牧野忠恭です。というより河井継之助を抜擢したのが牧野忠恭です。
牧野忠恭は、文久2年(1862)に京都所司代を勤めています。天誅の嵐が吹きまくる中での京都所司代でしたので、苦労したと思います。河井継之助は、この時、忠恭に京都所司代を辞任するよう進言しました。そうしたら、忠恭は、文久3年に老中に栄転となってしまいました。そこで、河井継之助は、老中の辞任も、進言しています。その進言に従って、牧野忠恭は慶応3年に老中を辞任しています。
長岡藩牧野家の菩提寺は、江戸では三田の斉海寺です。斉海寺には、これまで何回もお邪魔したことがありますが、長岡藩牧野家のお墓は長岡に改葬されていますということで、機会があったら長岡でお参りしたいと思っていました。
その斉海寺から改葬された牧野家の墓碑に、長岡市郷土史料館のある悠久山公園にある蒼柴神社(下写真)でお目にかかることができました。

蒼柴神社は、9代藩主牧野忠精が、天明元年(1781)、現在地に蒼柴神社を建立し、蒼柴神社一帯の地を悠久山と名づけたそうです。
蒼柴神社は、そもそも、3代藩主牧野忠辰が、神道を深く信じため、没後、京都の吉田家から蒼柴明神の神号を贈られました。そこで、忠辰と忠辰が崇拝した事代主命(ことしろのぬしのみこと)を、城内に社を建てて祀ったのが始まりだそうです。
時代が下がり、忠精が、忠辰(ただとき)の50回忌の際に、現在地に蒼柴神社を移し、日光東照宮を模して権現造りの社殿を完成させたものです。現在の社殿は、その当時の社殿が残されています。
社殿に向かって右側に、長岡藩主牧野氏歴代の墓碑群があり、2代藩主忠成から11代藩主忠恭までの間の17基の墓碑(下写真)が建っています。この墓碑群は、昭和58年に移されました。

蒼柴神社の宮司さんのお話では、神社にお墓があるのは違和感があるかもしれませんが、蒼柴神社の御祭神は3代藩主牧野忠辰公で、牧野家と縁が深いので安置してあります。三田の斉海寺から改葬されたお殿様のお遺骨は菩提寺の栄凉寺に埋葬されています」というお話でした。
そこで、長岡駅近くの栄凉寺にお参りしました。(ちなみに栄凉寺には河井継之助のお墓もあります。)下記写真が歴代藩主の墓碑ですが、合祀墓となっていますが、改葬された歴代藩主のお遺骨は、合祀墓の下に埋葬されているそうです。

最後に、現在の牧野家御当主は17代目の牧野忠昌様ですが、牧野忠昌様は、ご自宅を東京から長岡に移され、現在、長岡にお住まいだそうです。

