慈眼寺(北越戦争レポート⑧)
河井継之助(つぎのすけ)と岩村精一郎の会見いわゆる小千谷会談が行われたのが慈眼寺です。
慈眼寺には、会見の間以外にも見所がありますので、今日は、それをご紹介します。
慈眼寺は、JR上越線小千谷駅からだと小千谷駅と小千谷市の中心街の間には信濃河が流れているため、かなりの距離があります。
私は、行きはタクシーで行き、帰りは歩いてみましたが、徒歩だと30分弱かかりましたので、タクシーで往復するのがよいと思います。
さて、慈眼寺は、正式には船岡山観音院慈眼寺慈眼寺と呼ばれ、寺伝によれば、天武天皇の白鳳年間薩明大徳によって、国家鎮護の道場として創建されたといわれています。
小千谷市でも指折の古いお寺だそうですが、小千谷どころか新潟県でも屈指の歴史を誇るお寺ではないでしょうか。
そんな歴史を誇る慈眼寺には、弘法大師ゆかりの観音様が鎮座されています
境内にある船岡観音堂のご本尊の聖観世音御菩薩です。
下写真が、観音堂です。

この観音様は、平安時代の大同年中たまたま教えを弘めにこの地にやってこられた弘法大師が、衆生済度を念じて、一刀三礼、これを彫刻したものと伝えられています。
中越地震までは、住職一代に一度だけ御開帳していたそうですが、現在は常時開帳されています。下写真が観音堂内の写真です。

この観音様は、江戸で出開帳されています。
元禄4年(1691)には、ご本尊様の出開張したところ、参拝の善男善女が押しかけて引きも切らず、ついに開帳が60日に及んだといいます。
この評判を聞いて5代将軍徳川綱吉も、わざわざ参詣して、供養料に和歌一首を書いた扇子を添えて奉納されました。
この扇子は、いまも寺宝として、この寺に残っているそうです。
本堂内の会見の間の次の間に、この扇子の写真が掲示されていました。(下写真)

慈眼寺の山門も見事なものでした。
江戸時代以前のものと思う風格がある山門ですがで、明治25年に建築されたものです。平成27年に国の有形文化財に登録されました。
河井継之助が訪れた際には一回り小さい山門があったようです。

本堂の前には、岩村河井会見記念碑が建てられています。
この石碑は、慶応4年5月2日、慈眼寺で、河井継之助(つぎのすけ)と岩村精一郎が会見し談判した史実を記念して、昭和14年(1939年)、慈眼寺住職船岡芳快師の発願によって建てられたもので、碑文は徳富蘇峰の撰、篆額と書は、小千谷市出身の島田博の筆だそうです。


