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河井継之助(つぎのすけ)死す(北越戦争レポート⑭)

河井継之助死す(北越戦争レポート⑭)

 

今日は、河井継之助(つぎのすけ)の負傷死について書きます。
 下写真が、河井継之助(つぎのすけ)のお墓です。

河井継之助(つぎのすけ)死す(北越戦争レポート⑭)_c0187004_20341595.jpg
 慶応4年7月25日、河井継之助(つぎのすけ)は、八丁沖渡渉作戦を成功させて、長岡城を見事に奪還しました。

 長岡城内にいた新政府軍は、信濃川の西岸に退却していきましたが、長岡城北方には薩摩藩を中心とした新政府軍がいました。この部隊は、長岡藩はじめ同盟軍を総攻撃する準備を整えていたため、八丁沖渡渉の奇襲で一瞬ひるんだもののすぐに態勢を整えて反撃にでて、長岡藩兵と激戦を繰り広げました。

この時の戦いで、河井継之助(つぎのすけ)は、流れ弾に左膝の下あたりを撃ち抜かれ、重傷を負ってしまいました。

河井継之助(つぎのすけ)が負傷した日については、7月25日の戦いの中で負傷したと書いてあるものと7月26日の新町の戦いで負傷したと書いたものがあり、どちらが正確か不明です。

この負傷により、これ以降、河井継之助(つぎのすけ)は前線での指揮が不可能となりました。

 河井継之助(つぎのすけ)自身は、怪我の治療を拒否するとともに、負傷したことは全軍に秘密にしました。

一方、信濃川西岸の関原に集結した新政府側の諸隊をまとめた山県有朋は、薩摩・長州・を中心に部隊を再編成し、7月29日の早朝、長岡城総攻撃を開始しました。

 指揮官河井継之助(つぎのすけ)が負傷したことは、少しずつ長岡藩兵の間にひろがり士気はさがる一方、河井継之助(つぎのすけ)のかわりに全軍を統率できる指揮官がなく、新政府軍の攻撃に耐えられす、栃尾、見附方面に退却しました。

治療も拒ばみ見附において戦況を見定めていた河井継之助は、いよいよ同盟軍が会津を指して退却する段になると、8月2日に見附を立ち、担架に乗って八十里越に差しかかりました。

峠を越える時に「八十里こしぬけ武士の越す峠」と自嘲気味の句を詠んだといいます。

「こしぬけ」とは、「腰抜け」と「越(越後)を抜ける」がかけられています。

 河井継之助(つぎのすけ)は、八十里越を経て8月12日、塩沢(福島県南会津郡只見町塩沢)に到着しましたが、容態が悪化し、16日の午後8時ごろ、静かに息を引き取りました。

河井継之助(つぎのすけ)の遺骸は、塩沢で荼毘にふされました。

遺骨は、従僕松蔵によって、会津若松に運ばれ、藩主父子が滞在している建福寺に仮埋葬されました。

 福島県只見町塩沢の医王寺には、残された細骨を集めて埋葬されたお墓が建てられているそうです。

 建福寺に仮埋葬された河井継之助(つぎのすけ)は、明治3年に河井家の菩提寺である長岡の栄凉寺に埋葬されました。

 栄凉寺は、藩主牧野家の菩提寺でもあります。(下写真)

河井継之助(つぎのすけ)死す(北越戦争レポート⑭)_c0187004_20281596.jpg

 河井継之助(つぎのすけ)の墓は、かつては、河井継之助(つぎのすけ)を恨む人々により破壊されたことがあるそうで、墓の隅が欠けていました。(下写真)

河井継之助(つぎのすけ)死す(北越戦争レポート⑭)_c0187004_20282446.jpg

 河井継之助(つぎのすけ)が傷ついた身体を担架にのせて運ばれた八十里越えは、余りにも急峻な峠であるため、一里が十里にも感じられることからその名前がついたといわれています。

 この八十里越えは、現在は国道289号線となっていますが、現在でも、人も通行できない部分があるほどの状態で、当然車も通行できません。そこで、現在国土交通省が開通をめざして改築工事中です。



by wheatbaku | 2017-07-28 20:13 | 『幕末』

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