箱館戦争史跡を訪ねてきました。(箱館戦争史跡めぐり①)
先週は、箱館戦争の史跡を訪ねて、1泊2日で函館に行ってきました。
私は埼玉県に住んでいるため、函館まで飛行機で行く方法のほか、北海道新幹線を利用する方法もあります。旅行会社に聞いたら、新幹線のほうがよいでしょうということなので、北海道新幹線で行ってきました。
大宮を7時前に出発して函館駅には11時30分に到着しました。(下記写真が函館駅です)
青函トンネルは25分で通過しました。函館は本当に近いと実感しました。
函館でも、箱館戦争関連の史跡を訪ねてきましましたので、これから順にレポートしていきますが、今日は最初ですので、どんなところを訪ねたのか概略をご案内します。
五稜郭
五稜郭は、箱館戦争を語る際にははずことができませんので、まず、最初に訪ねたのが五稜郭です。
五稜郭は、星型の西洋式城郭として有名ですが、五稜郭のそばにたっている五稜郭タワーの展望台からは、五稜郭が一望に眺められます。まさに五角形であることが一目瞭然です。
下写真は展望台から写した五稜郭です。

箱館奉行所
五稜郭は、箱館奉行所を防御するために築造されたもののようです。
箱館戦争の際には、ここが榎本政権の本拠地となった場所です。
箱館奉行所は、明治になって取り壊されてしまいましたが、平成22年に再建されました。
念密な検討を加えて昔の姿を復元しているそうです。

弁天台場跡
弁天台場は弁天岬台場とも呼ばれて、箱館港を守るために築造されました。
箱館戦争の際には、ここに永井尚志や新選組が籠城して新政府軍と交戦しました。
現在は、埋め立てられていて、面影はまったく残っていませんが、近くの児童公園に弁天岬台場の説明板が設置されていました。

千代ケ岡陣屋跡
千代ケ岡陣屋は幕末には津軽藩の陣屋として使用されていました。
箱館戦争の際には、中島三郎助たちが立てこもり、ここを守備しました。
新政府軍からの最後の攻撃の際に、降伏を勧められましたが、中島三郎助はそれを拒否して、ここで息子たちとともに討死しました。

一本木関門
箱館戦争の花形スターは、榎本武揚の外、土方歳三でしょう。
その土方歳三が亡くなったとされているのが、一本木関門です。
現在は、総合福祉センターの中庭に「土方歳三最期之地」と刻まれた石碑が建てられています。その脇には一本木関門の模型が作られています。

碧血碑(へっけつひ)
箱館戦争で亡くなった新政府軍の兵士たちは、護国神社に祀られました。
しかし、旧幕府軍の兵士は、新政府軍の命令により、放置されましたし、その後も、護国神社に祀られることはありませんでした。
そこで、榎本武揚を筆頭に箱館戦争生き残りの人たちの協賛をえて、箱館戦争で亡くなった人たちを慰霊するために建てられたのが「碧血碑(へっけつひ)」です。
箱館山の山中にあるため、訪ねるのが一苦労でしたが、苦労した甲斐がありました。

その他に訪ねた史跡もありますが、これから順にご案内していきます。

