箱館奉行所(箱館戦争史跡めぐり③)
前回、五稜郭は箱館奉行所を守るための堡塁だとかきました。
今日は、五稜郭が守っている箱館奉行所についてご案内します。
箱館奉行所は、実は二度にわたって設置されています。
まず、最初は、ロシアが南下政策をとるなかで、ロシア船が蝦夷地近海に頻繁に表れるようになりました。
そのした中で、幕府は、寛政11年(1799)に松前藩が統治していた東蝦夷地を直轄地にしました。
そして、享和2年(1802)には蝦夷奉行(同じ年に箱館奉行と改称)を設置しました。
さらに、享和3年には箱館の港を見おろす現在の元町公園に奉行所が建てられました。
元町公園には、元箱館奉行所跡と書かれた標柱が建てられています。(下記写真参照)
その後、ロシアとの関係が落ち着いたことから、蝦夷地の直轄管理体制が解かれ、箱館奉行所も廃止されました。
しかし、安政元年の日米和親条約により、安政2年に箱館が開港されることになり、箱館奉行所が再び設置されました。
その際の箱館奉行所は、元の箱館奉行所の設置場所、現在の元町公園がある場所に設置されました。
奉行所からは、箱館の港と町を一望できましたが、箱館港に出入りする外国の軍艦からは、格好の標的になる不用心な場所に奉行所は建っていました。
そこで、安全な場所へ箱館奉行所を移転することとなり、亀田村に移転することになりました。
亀田村は、箱館港から約3km離れていて、当時の大砲の射程距離から外れていました。また、亀田川から水を引くことができました。
ここが、現在の五稜郭のある場所です。
五稜郭が万延元年年(1860)にできあがり、翌元治元年(1861)に箱館奉行所も完成し、当時の箱館奉行小出秀実が移転しました。
現在の箱館奉行所には奉行の執務室である表座敷が復元されていて、床の間には掛け軸は最後の箱館奉行杉浦兵庫頭誠の書が架かられていました。(下写真)
その後、箱館戦争の際には、旧幕府軍の榎本政権の本拠地となりました。
その箱館戦争が明治2年に終了した後、開拓使が設置され、新政府による北海道の統治が始まりましたが、五稜郭を役所として利用することはありませんでした。
そして、明治4年には、札幌に新築する開拓使本庁舎の材料とするために、旧箱館奉行所と付属建物の大部分が解体されました。
そして、その後、箱館奉行所の姿はありませんでしたが、平成22年に、元の姿に忠実に復元されました。
ただ、旧奉行所が元の大きさのままに復元された訳ではなく、奉行所の主要部分を中心として、元の奉行所の3分の一の大きさで復元されています。
復元された奉行所には大広間や奉行の執務室であった表座敷が再現されています。




