榎本艦隊、蝦夷地上陸(箱館戦争史跡めぐり⑥)
箱館戦争史跡めぐりですが、今までは史跡を順に紹介してきましたし、これからも史跡を紹介していく予定です。
しかし、箱館戦争の経緯を先に書いておいたほうがよいと思いました。
そこで、これからは何回かに分けて箱館戦争の経緯を書いていきます。
箱館戦争は、榎本艦隊が、明治元年10月に蝦夷地に上陸したことから始まります。

榎本武揚は開陽、回天、蟠龍、千代田形の4隻の軍艦と美嘉保や咸臨など4隻の運送船、総計8隻で、慶応4年8月19日、品川沖を出港しました。
この時、若年寄永井尚志、陸軍奉行並松平太郎らの要人が同乗しました。
そのほか彰義隊から分かれて振武軍を結成した渋沢成一郎、遊撃隊の伊庭八郎、さらに高田藩の神木隊も同乗していました。
しかし、出航直後の暴風雨に遭遇し、美嘉保丸は銚子沖の暗礁に乗りあげ破船しました。この船に乗っていた伊庭八郎は上陸した後箱館に向かいました。
また、破損した咸臨丸は清水港に入港して新政府軍に拿捕されています。
旗艦開陽も梶を失って3日間漂流後26日仙台についています。
しかし、9月15日に仙台藩が降伏しました。
そのため、仙台に集まっていた老中板倉勝静と小笠原長行、京都所司代松平定敬などの要職経験者、土方歳三が率いる新選組、彰義隊、さらに仙台藩の額兵隊なども榎本武揚艦隊に合流しました。
そのため、榎本軍は総勢で3千名近くになりました。
榎本艦隊は、10月12日に石巻を出航しました。
途中宮古湾を経由したあと、10月20日に蝦夷地鷲ノ木の沖に到着しました。
榎本艦隊が直接箱館港に向かわなかったのは、一つには箱館港は開港されていて外国船も入港してところで戦闘が起こるのを避けたこと、さらに箱館港入口には弁天岬台場があり、そこからの砲撃を避けたためと言われています。
10月21日には、全軍は蝦夷地に上陸しました。
五稜郭タワーには、「五稜郭歴史回廊」というコーナーがあり、箱館戦争を中心として箱館の歴史がわかるようにジオラマが展示されています。
榎本軍が蝦夷地に上陸した様子も表現されています。
最上段の写真と下の写真は、そのジオラマを撮影したものです。


