伊藤忠兵衛(幕末・維新を乗り切った商人たち①)
今年の江戸検のお題『疾走!幕末・維新』は政治史だけでなく社会文化史も対象となっていることから、お題テキストでも、政治史以外の分野についても、かなりのボリュームが割かれています。
そのため、お題テキストでは、いろいろな分野での知識を吸収することができ、江戸検を受検しない立場でも大変勉強になります。
それを一つ一つ書いていくわけにはいきませんが、私は特に幕末・維新を乗り切った商人たちに興味をもちました。
そこで、江戸検本番が近付いていることもありますので、谷中霊園に眠る幕末有名人をちょっと中断して「幕末・維新を乗り切った商人たち」について触れていこうと思います。
お題テキストに書かれている商人たちを中心に書いていきますが、それ以外の商人についても書いていこうと思います。
まずは、伊藤忠兵衛について書きます。
伊藤忠兵衛は、巨大総合商社「伊藤忠商事」と「丸紅」の創業者です。
伊藤忠兵衛は、天保13年(1842)に近江国豊郷の「紅長」という太物問屋の次男坊として生まれました。
安政5年、伊藤忠兵衛15歳の時に、近江の麻布(まふ;あさぬの)を持って、「持ち下り」商いを始めました。 伊藤忠商事では、これを伊藤忠商事の創業としています。
ところで、「持ち下り」とは、お題テキストには、「商品をもって定期的に他国を回る商売」と書いてありますが、「行商」または「出張販売」といったほうがわかりやすいと思います。
最初は、泉州や紀州での出張販売でしたが、だんだんと距離をのばし、九州まで出張販売に出ています。
こうして25歳になった慶応2年、第2次長州征伐が起こりました。この時、伊藤忠兵衛は、戦いがある時こそ、商品の需要があり、飛ぶように売れるだろうと考え、危険を帰りみず、下関に出かけていきました。長州では、戦いを嫌って商人たちが商売を控えていたため、伊藤忠兵衛の商品は飛ぶように売れ1500両も売り上げました。
翌年、長州征伐の終わった下関に再び向かいました。長州には多くの商人たちが商売にやってきたため、競争相手が増えました。しかし、長州の人たちは、長州征伐の際に危険をかえりみず長州にやってきた伊藤忠兵衛を高く信用していたため、伊藤忠兵衛の商いは順調に進み、前年を上回る売り上げを確保したそうです。
近江商人は「三方良し」を心得としています。つまり「売り手良し、買い手良し、世間良し」ですが、伊藤忠兵衛の長州での商売は、「伊藤忠兵衛良し、長州の人々良し、そして長州の評判良し」ということで、まさに「三方良し」ということでした。
こうして、商売で成功した伊藤忠兵衛は、明治5年、大坂に「紅忠」という太物の店を開きます。
この「紅忠」から発展して、現在の伊藤忠商事と丸紅につながっています。
ただし、伊藤忠商事と丸紅に至る歴史は複雑ですので、それは省略させてもらいます。