箱館戦争を戦ったフランス人
江戸検が終わりましたが、受検された皆さん、よい結果であるといいと思います。
今年は、過去問から出題が非常に多かったので、過去問も勉強していた方は、良い成績が取れて、合格できた方もいるのではないでしょうか。
今日は、江戸検前に書こうと思っていましたが、時間がなくてアップできていなかった箱館戦争に参加したフランス人10人について書きます。
今回の江戸検1級の問題に、フランス軍人ジュール・ブリュネについての問題が出題されました。
ブリュネについては、お題テキスト「疾走!幕末・維新」に書いてあるので、正解できた人が多いと思います。
箱館戦争で旧幕府軍に参加して戦ったフランス人は10人と言われています。
しかし、10人全員が最初からブリュネと行動したわけではなく、江戸から一緒に行動したのが1人、仙台で合流した人たちが3人、そして箱館で合流したのが5人でした。
箱館戦争で戦った人たちのリーダーが、ジュール・ブリュネです。
ジュール・ブリュネは、フランスの砲兵大尉で、慶応3年、幕府のフランス軍事顧問団の副団長として来日し、幕府の伝習隊に対して訓練を行っていましたが、翌年戊辰戦争が始まるとフランス政府からの命令を無視して、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加します。
このブリュネと一緒に江戸から箱館まで行動したのが、カズヌーヴです。
カズヌーブは、ナポレオン三世から徳川慶喜に送られたアラブ馬を持ってきたフランス王室付の馬丁でしたが、軍隊経験もあったようです。
この二人が仙台まで行ったところで、横浜から船に乗って、フランス軍人3人が追いかけてきました。
3人とは、③ジャン・マルラン、④ルテュール・フォルタン、⑤フランソワ・ブッフィエでした。
3人は、軍事顧問団のメンバーとして来日し、ブリュネの指揮下にあった下士官でした。
彼らが、ブリュネの命令で合流したのか、自主的に参加したのかは、はっきりしていないようです。
蝦夷地を占領した後、ブリュネは旧幕府軍の顧問となり、軍事的な指導を行いました。
ブリュネは、旧幕府軍の陸軍を4つの連隊に分け、「レジマン」と名付けました。「レジマン」とは「連隊」を意味するフランス語です。
この4つの「レジマン」に、カズヌーヴと仙台で合流した3人を配属し、連隊の指揮のサポートさせました。
この5人に加えて、さらに5人のフランス人が参加しました。
この5人は、軍人でなく、民間人でした。
その5人とは、⑥ニコール、⑦コラシュ、⑧クラトー、⑨ブラディエ、⑩トリボーです。
彼らは、箱館にやってきた時は民間人でしたが、それぞれ、もと軍人であったようです。
この5人のうち⑥ニコール、⑦コラシュ、⑧クラトーは、海軍出身者であったため、それぞれ、榎本艦隊の「回天」「高雄」「蟠竜」に乗り組みました。
旧幕府軍は、新政府軍の「甲鉄艦」を奪取するため、宮古湾海戦を企画しましたが、この海戦の作戦を立てたのは⑥ニコールでした。そして、3人は、回天」「高雄」「蟠竜」に乗り込み宮古湾海戦を戦っています。
旧幕府軍のために戦った10人のフランス人たちは、五稜郭が陥落する直前にフランス艦「コエトゴロシ」で箱館から脱出しました。
ブリュネはその後フランスに帰り、取り調べを受けました、「寛大な処置が」がとられ、罪に問われることはなく、しばらくして、軍に復帰し、普仏戦争で参加等で活躍し、その後、順調に出世しました。