西郷隆盛銅像(大河ドラマ『西郷どん』②)
「西郷どん」の冒頭は、西郷隆盛の銅像の序幕式の場面からスタートしました。
そこで、今日は、上野の西郷隆盛の銅像について書きます。

西郷隆盛は、西南戦争を起したため、朝敵とされていましたが、明治22年に大日本帝国憲法が発布された際に大赦が行なわれ正三位の追贈が決定したのを期に、銅像建立の動きが本格化しました。その中心となったのが西郷隆盛の親友の吉井友実です。
西郷隆盛の銅像が上野公園に建てられるには紆余曲折がありました。
西郷隆盛の銅像は、当初、皇居外苑に設置したいという計画もありましたが、最終的に上野公園に建てることとなりました。
服装も、当社は陸軍大将の軍服を着た銅像が検討されましたが、最終的には、現在のような服装となりました。
西郷隆盛の銅像の除幕式は明治31年12月18日に時の総理大臣、山県有朋、勝海舟、大山巌、東郷元帥等800名が参加して盛大に行われました。
その除幕式でこの像を見た西郷の妻である糸子は、「うちのひとはこんなひとじゃなかった」とつぶやいたといわれています。
これが「西郷どん」の冒頭場面です。
このつぶやきは、西郷隆盛の顔が違うという意味だとも、人前に着流しででることはなかったという意味だとも言われています。
さて、この西郷隆盛の銅像は散歩をしているように見えますが、実は散歩をしている姿ではありません。
これは、愛犬をつれ、腰に兎罠をはさんで兎狩りに出かける姿です。
下写真は、腰まわりの拡大写真ですが、帯に兎を捕るための罠がはさんであるのがわかるでしょうか?

この姿は大山巌が思いつたそうです。
軍服姿ではなく、こうした姿であるため、逆に庶民的になったともいえると思います。
西郷隆盛の銅像は、高村光雲により作られたと思う人が多いようですが、実は二人によって作られています。西郷隆盛は高村光雲、犬のほうは後藤貞行が作成したものでうす。
また、西郷隆盛の銅像は、東京三大銅像の一つに数えられています。
三大銅像とは、西郷隆盛の銅像のほか、靖国神社の大村益次郎像、 皇居外苑の楠木正成像です。
皇居外苑の楠正成像も高村光雲と後藤貞行のコンビで作られていて、大村益次郎の銅像は大熊氏広によって作られています。

