平賀源内のお墓(『蘭学事始』)
今日は、平賀源内のお墓の紹介です。
平賀源内のお墓は、台東区橋場にあり、少し不便な所ですので、なかなか訪ねることができませんでしたが、『風雲児たち~蘭学革命篇~』にも出て来たので、おもいきって訪ねてきました。
平賀源内のお墓へは、浅草からバスでいく方法と、三ノ輪駅から徒歩またはバスで行く方法、南千住駅から徒歩で行く方法とあります。
いろいろ検討した結果、私は行きは南千住から徒歩で行き、帰りはバスで三ノ輪駅に戻りました。
平賀源内のお墓は、明治通りから一本南側の住宅街を通る道路に面してあります。
住宅街のど真ん中ですが、築地塀で囲まれています。
平賀源内のお墓はお寺の中にあるものと漠然と思っていましたが、平賀源内のお墓だけ単独にあるので、少し驚きました。
実は、平賀源内のお墓のある場所には、もともとは、ここにあった総泉寺という曹洞宗のお寺があり、そこに作られたのでした。
その総泉寺が昭和3年(1928)板橋区小豆沢へ移転しました。しかし、平賀源内のお墓だけが残され、昭和6年には高松藩松平家の松平頼壽により築地塀が整備されました。
墓所内に入ると屋根つきのお墓が東面してあります。
平賀源内のお墓は笠つきのお墓で、下段の墓表に「安永八己亥十二月十八日 智見霊雄居士 平賀源内墓」と刻まれています。