ジョン万次郎と薩摩(大河ドラマ『西郷どん』)
『西郷どん』の第6回は「謎の漂流者」でした。タイトルの漂流者とは、ジョン万次郎のことでした。
そこで、今日は、ジョン万次郎と薩摩の関係について書いていきます。
下写真は、雑司ヶ谷霊園にあるジョン万次郎のお墓です。
墓表には中濱萬次郎を刻まれています。

ジョン万次郎は、多くの人が御存知の通り、15歳の時に漁に出たところ暴風雨にあって遭難し、伊豆七島の一つ鳥島に流れつき、アメリカの捕鯨船にすくわれ,アメリカで教育を受け、捕鯨船の船員として暮らしていましたが、望郷の念が抑えきれず、ついに帰国することにします。
そこで、ハワイで、上海行きの商船「サラ・ボイド号」に漁師仲間2人と共に乗り込みました。
嘉永4年(1851)1月2日、琉球近くまで来た段階で、琉球への上陸をめざし「アドベンチャー号」という小船に乗りこみ商船を離れました。
翌日お昼頃、万次郎たちの乗ったボートは、無事、琉球の摩文仁の海岸に到着しました。
海岸には、村人たちがいたので、比較的日本語を覚えていた漁師仲間の伝蔵を先頭に上陸しましたが、見慣れない姿の人間に驚いた村人の中でも、3人の日本語を理解した人がいて、ようやく話が通じました。
上陸した3人は、番所で簡単な取り調べを受け、那覇に送られることになりましたが、那覇の手前で、翁長(おなが)に留まることになりました。
翁長では、琉球王朝の役人による尋問が行われた後で薩摩藩の取り調べが行われました。
万次郎たちがいた屋敷の周りには竹囲いがされ軟禁状態でした。
しかし、待遇は非常に良くて、地元の人たちのとの交流も盛んに行われたようです。
『西郷どん』では、西郷家の人たちが、万次郎を歓待している場面がありましたが、あのような歓待ぶりだったのではないでしょうか。
そして、ジョン万次郎たちは、7月11日に那覇に行き薩摩に向かいました。
翁長には、約6か月滞在したことになります。
薩摩の山川港には、7月30日に到着し、翌日鹿児島に入港しました。
西田町下会所が宿舎とされました。
この段階までに、ジョン万次郎たちのことは、島津斉彬に報告されていて、島津斉彬からは丁重に処遇するよう指示がでていました。
万次郎は、島津斉彬からも呼び出されて、外国の事情を聞かれたこともありました。
『西郷どん』で描かれたいた通りだったと思います。
薩摩藩では、万次郎のもとに船大工たちを通わせ、「アドベンチャー号」や万次郎の情報を元に、洋式船のひな形を造りました。
このひな形をもとに薩摩藩では、試験的に日本初の小型洋式船をつくりました。この船は「越渡船(おっとせん)と呼ばれ、越通船は湾内での輸送用に使われました。
こうした、万次郎たちは、48日間、薩摩に滞在し厚遇された後、9月18日に長崎に送られました。
万次郎たちは、長崎でも取り調べを受けましたが、鹿児島での待遇とはうってかわり、罪人として牢屋に入れられました。
しかし、長崎での取り調べの最後に踏絵が行なわれ、万次郎たちは、帰国が許され無罪放免となり、嘉永5年6月に土佐藩に引き渡されました。
その後、万次郎は、土佐藩での取り調べも無事終わり、嘉永5年10月5日、母親と無事再会を果たしました。
今回、ジョン万次郎を演じたのは劇団ひとりさんですが、たった1回の出演のため、劇団ひとりさんが演じるはずはないと思います。
ジョン万次郎は、のちに薩摩藩の開成所の教授となって、薩摩藩士の教育指導にあたっていますので、『西郷どん』では、西郷隆盛と再会場面があるのではないかと思います。

