西郷隆盛は涙もろい人だった(大河ドラマ『西郷どん⓾)
『西郷どん』第8回は「不吉な嫁」でした。
今回は、嘉永6年のペリー来航時の島津斉彬の対応、篤姫の江戸行の準備、そして、西郷隆盛の江戸行きが決まり、そのための旅費づくりに苦悩する西郷家の人々の姿などと描かれていましたが、「不吉な嫁」というタイトルとは異なり、西郷隆盛とその妻「須賀」との温かい心が伝わる素晴らしい展開だったと思います。
表面的な冷たい言葉と異なり、「須賀」は西郷隆盛の温かい心を知っていて、「須賀」がいる限り、西郷隆盛が江戸に行かないことがわかったため、あえて身を引く決意を固め離縁を通告する「須賀」、そして、それを怒る西郷家の人々、その中で、一人だけ「須賀」の気持ちを知って「ありがとう」とつぶやく西郷隆盛。なかなかの感動場面でした。
もちろん、この展開は大河ドラマの話ですので、実際にこうしたやりとりがあったかどうかはわかりませんが、今回の『西郷どん』をみていて、思い出したのが、『西郷隆盛維新150年目の真実』(家近良樹著)に書かれていた西郷隆盛の涙もろさです。
家近先生によると西郷隆盛は、男は人前で涙を見せてはいけないという不文律があったであろう江戸時代に平気で涙を流せた男だったそうです。
そして、「西郷隆盛には、周りの眼や世間体を気にせず、素直に涙を流せるような一面があり、こうした人間らしさが、多くの部下や周囲の人物を強く惹き付ける一因となっただろうことは否定できない」と書いています。
また、大隈重信は、西郷隆盛を評して、「非常に惰に脆い、涙弱い人」だったとも回想しているそうです。
家近先生は、こうした涙もろさが、西郷隆盛を「一人画然とした位置に立たせた大きな理由」だとしています。
まさに、今回の『西郷どん』は、そうした西郷隆盛の姿が遺憾なく描かれていたと思います。