薩摩藩邸(大河ドラマ『西郷どん』⑫)
薩摩藩の藩邸はたくさんあります。幕末には私が知っているだけで6か所あります。
そこで、今日は、江戸の薩摩藩邸についてご案内します。
三田藩邸(上屋敷)
『西郷どん』の時代の薩摩藩の上屋敷は、三田にありました。
西郷隆盛の孫となる西郷吉之助氏が書いた「薩摩屋敷跡」の石碑がNEC本社の敷地内にあります。
これが『西郷どん』の最後の「紀行」の中で放映されていましたね。
しかし、NEC本社は薩摩藩上屋敷の南のはずれで、薩摩藩上屋敷の中心は、NEC本社の北側にある三井住友信託銀行とセレスティンホテルの部分です。
三井住友信託銀行とセレスティンホテルの間の広場に、「芝さつまの道」と書かれた案内図があります。
上屋敷は、藩主がいる御屋敷ですので、島津斉興が藩主の時代には、島津斉興が住んでいました。そして、島津斉彬もここで生まれ、育ちました。
高輪藩邸(中屋敷)
島津斉彬が生まれた際には、曾祖父島津重豪、祖父島津斉宣、父島津斉興と四代の藩主が江戸にいました。
曾祖父島津重豪がいたのは、高輪の藩邸です、
現在の品川駅の目の前にありました。現在は、SHINAGAWA GOOS(シナガワグース)がある辺りです。
以前は「ホテルパシフィック東京」でしたが、現在は、ビジネスホテルの「京急EXイン品川駅前」核テナントとした複合商業施設となっています。
幕末の慶応4年3月13日の西郷隆盛と勝海舟の江戸城無血開城に向けた第1回の話し合いが行われたのが、薩摩藩の高輪藩邸でした。
田町蔵屋敷
西郷隆盛と勝海舟の江戸城無血開城に向けた第2回目の話し合いが行われたのが、田町の蔵屋敷だったと言われています。
「西郷南洲・勝海舟会見之地」と刻まれた石碑が建っています。
この文字も西郷吉之助氏の筆です。
白金藩邸(中屋敷)
祖父島津斉宣がいたのは、白金の藩邸です。
現在は八芳園となっています。
幕末の切絵図を見ると、松平薩摩守の下屋敷となっているので、幕末には薩摩藩藩邸であったことがわかります。
ここは、明治の末には渋沢栄一の従兄弟の渋沢成一郎の屋敷となりました。
装束屋敷
薩摩藩は、江戸城のそばにも御屋敷がありました。
現在の日比谷公園の東側でみずほ銀行の北側に、装束屋敷と呼ばれる屋敷がありました。
装束屋敷という名前は、琉球使節が江戸城に登城する際に、ここで装束を整えたことに由来するとされています。
明治になって鹿鳴館が建てられたのが装束屋敷跡です。
渋谷藩邸(下屋敷)
薩摩藩は、渋谷に下屋敷がありました。
幕末の切絵図によれば、金王八幡宮近くに「松平薩摩守」と記された屋敷があります。これが薩摩藩下屋敷です。
現在、薩摩藩下屋敷の面影を残すのは江戸時代に薩摩藩士が建てた常磐松の碑くらいです。
『西郷どん』で北川景子が演じている篤姫は、13代将軍家定と結婚しましたが、その際、渋谷の下屋敷から輿入れしています。
篤姫は、江戸に到着した際には三田藩邸に入りました。しかし、三田藩邸が安政の大地震で被災したため、渋谷に移り住んでいましたので、ここからの輿入れとなりました。