駒込大円寺と「天和の大火」(白山ミニ散歩①)
2月24日に開催された文京学院「江戸の町奉行」の講義の後、大学近くの大円寺と円乗寺をご案内しました。
この2ヶ寺とも、八百屋お七と縁があるお寺ですので、八百屋お七についても触れていこうと思います。
今日は、まず大円寺をご案内します。
大円寺は、都営地下鉄白山駅と東京メトロ本駒込駅が最寄り駅です。白山駅A1番出口から徒歩4分、本駒込駅1番出口から徒歩5分の距離です。
旧中山道に接している参道入り口には「大圓寺」と書かれた大きな石柱が建っています。

大円寺は慶長2年(1597)に創建された曹洞宗のお寺です。
最初は、神田柳原にありましたが、慶安2年(1649)現在地に移りました。
この大円寺は、天和2年(1682)におきた天和の大火の火元でした
天和の大火は、江戸十大大火の一つに数えられるほどの大火でしたが、俗に「お七火事」と呼ばれています。
天和の大火は天和2年(1683)12月28日に発生しました。
火事は大円寺の塔頭から出火し、隣の同心屋敷に延焼し、本郷方面に燃え広がりました。
皮肉なことに、大円寺の本堂や庫裏は燃えることはなかったそうです。下は現在の本堂です。

本郷に向かった火事により、本郷にあった加賀藩前田家の上屋敷も炎上しました。
さらに、湯島、神田、日本橋と延焼していきました。
そして、浅草橋門を焼失させて火事は、隅田川を飛び越えて、回向院に飛び火しました。
回向院もまもなく焼失し、火事はさらに隅田川沿いに南下して、霊厳寺、富岡八幡宮も焼失させて、ようやく翌日29日の午前5時頃に鎮火しました。
駒込から本所深川までも焼失させれるほどの大火となってしまいました。
この大火で、焼失した大名屋敷は73、旗本屋敷166、寺社95だそうです。そして、死者は最大3500名余と書いたものがあるようです。
この火事で焼け出された有名人が、松尾芭蕉です。
松尾芭蕉は、延宝8年(1680)から、小名木川から別れた六間堀そばに門人の杉山杉風(さんぷう)の生け簀の番屋を改築して芭蕉庵と名付けて住んでいました。
この天和の火事の際、芭蕉が住んでいた芭蕉庵は焼失してしまいました。
芭蕉自身は、六間堀に腰までつかって頭に苫をかぶり、時々は苫に水をかけて火を凌いだそうです。
また、日本橋地区も大火で多くの商店が焼失しています。
その中の一つが、越後屋です。
越後屋は、延宝3年(1673)、三井高利が、長男の高平を江戸の責任者にして、本町1丁目(ちょうど現在の日銀新館あたり)にお店を開きます。
しかし、越後屋の商法は、従来の本町の呉服屋の商法とは大いに異なっていたため、同業者に恨まれ、迫害を受けるようになってきました。
そうした状況の中で、天和3年(1683)に、当時駿河町に移転しました。
その、移転の直接のきっかけとなったのが、天和2年(1682)に起きた天和の大火で焼失したことです。
また、この火災で、オランダ商館長が定宿としていた長崎屋も焼失したようで、翌年の江戸参府の際には、商館長一行は、浅草の藤屋というところに宿泊しているようです。
さらに、火の手が近づいた小伝馬町牢屋敷では、明暦の大火の時と同じように囚人の切放しが行われました。

