日本橋周辺を散歩してきました。
昨日は、文京学院大学の「大江戸八百八町を守った男たち~江戸の町奉行~」の第3回講座が開催されて、日本橋を散歩してきました。
週の初めは、小雨予報で、天気を心配していましたが、昨日は、散歩を始める頃には晴天となり、快く散歩することができました。
ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
下写真は、十思公園にある石町の時の鐘の説明をしている写真です。

今回の講座は「江戸の町奉行」について2回の座学を行い、3回目には、町奉行に関係のある小伝馬町牢屋敷から北町奉行所までを歩くコースでした。
昨日のご案内ルートは次のようなコースでした。
十思公園(大安楽寺、吉田松陰終焉の地碑、時の鐘)⇒ 十思スクェア(牢屋敷模型)⇒ 小津史料館 ⇒ 小山屋跡・時の鐘跡 ⇒ 長崎屋跡 ⇒ 三井本館・三越 ⇒ 日本銀行 ⇒ 常盤橋公園 ⇒ 一石橋 ⇒ 北町奉行所跡
主な案内場所を写真とともにご紹介します。
「十思之疏(じっしのそ)
集合場所は、十思公園でした。十思公園と隣の十思スクェアがある一郭が江戸時代には小伝馬町牢屋敷がありました。
十思という言葉は聞きなれない言葉ですが、その由来を書いた説明板が、十思スクェアの別館の壁面に掲示されています。
十思の名前は、中国の宋の時代の歴史書「資治通鑑(しじつがん)」の中にある十ヶ条の天子のわきまえなければならない戒め「十思之疏(じっしのそ)」から取った名前です。

十思公園から道路を隔て大安楽寺があります。
大安楽寺は、明治の初年、ここを通った高野山の山科俊海というお坊さんが、燐の火が燃えているのを見て、霊を慰めるためにお寺の建立を思い立ち、明治8年に大安楽寺を建立しました。
大安楽寺の延命菩薩地蔵が鎮座する場所辺りが死罪所といわれています。
延命地蔵菩薩像は、ここでなくなった人たちを供養するために建立されました。
台座の下の部分に「為囚死群霊離苦得脱」と供養の言葉が書かれています。
文字は、山岡鉄舟の字です。

JR新日本橋駅の入口に長崎屋跡の説明板があります。
江戸時代は鎖国でしたので、ヨーロッパとはオランダとだけ貿易(交易)をしていました。
オランダは、貿易のお礼と引き続き貿易が許されるようにお願いするため、長崎出島のオランダ商館長(カピタンとも呼ばれていました)が年に1回、将軍に拝謁し、土産を献上していました。(寛政2年(1790)からは5年に一度行われることとなりました。)
これを、江戸参府といいます。この際に、定宿として利用されたのが長崎屋です。
長崎屋は、もともと長崎出身の薬種問屋でした。

常磐橋は、明治10年に架けられた石橋で、常盤橋御門は、外濠に残る貴重は江戸城の城門の遺構ですが、両方とも修復工事中で、じっくり見ることができませんでした。
そこで、常盤橋御門の脇にある常盤橋公園の中に渋沢栄一の銅像がありますので、渋沢栄一の偉大さについて説明させてもらいました。
銅像の製作者は朝倉文夫です。有楽町の東京国際フォーラムの大田道灌像や早稲田大学の大隈重信像の製作者でもあります。
ここにある渋沢栄一の銅像は常磐橋の保存に尽力したために常盤橋公園内に建てられています。

北町奉行所跡
最後に、東京駅八重洲北口前のグラントウキョウノースタワーという建物の外濠通り側に設置されている東京都教育委員会の「都旧跡 北町奉行所跡」の石碑を紹介しておきます。

散歩の後は、恒例の懇親会でした。今回は初めて方にも大勢ご参加いただき、楽しい懇親会となりました。
散歩や懇親会にご参加いただいた皆様ありがとうございました。

