薩摩藩の老女幾島(大河ドラマ『西郷どん』⑭)
前回の『西郷どん』では、南野陽子さんが演じる幾島が出てきました。斎藤由貴さんの代替だそうですが、南野陽子さんの演技が光っていました。
以前の大河ドラマ『篤姫』では、確か松坂慶子さんが演じていましたが、松坂さんの幾島に劣らずという感じです。これから大変楽しみです。
そこで、今日は、その幾島という人がどういう人だったのか書いておきます。
幾島は、『西郷どん』で描かれていたように、篤姫の教育係として、京都から呼ばれ、その後、篤姫とともに江戸城大奥に入り、島津斉彬の意をていして、大奥工作を行う人物です。
幾島は、薩摩藩士朝倉景矩の娘として、文化5年(1808)に生まれました、
朝倉景矩は、江戸及び大坂の留守居役をへて、最終は御側御用人となります。
幾島は、13歳の時、島津斉宣の娘郁姫に仕え、郁姫が近衛忠煕に嫁いだ後は、藤田と名乗り京都で郁姫とともに過ごしました、
しかし、嘉永3年(1850)に郁姫が33歳で亡くなると出家して得浄院となり、郁姫の菩提を弔っていました。
そうした時に、篤姫が将軍家に輿入れするということになり、島津斉彬から篤姫の教育係として江戸に呼ばれ、幾島と名乗るようになりました。
篤姫が安政3年(1856)に江戸城に入ったのちは、大奥に入り、篤姫を助けるとともに、西郷隆盛を介して、大奥の情報を島津斉彬に伝えていました。また、島津斉彬からの指示を西郷隆盛から受けて大奥工作を行っていました。
幾島は、気性のすぐれた肝っ玉の太い女丈夫で、顔にコブがあることから、人々は蔭でコブ・コブと呼んで怖れていたそうです。
幾島は明治3年4月26日に63歳で東京で死去し、芝の大圓寺(東京)に葬られました。その後、鹿児島に改葬され、弟が建立した幾島の招魂墓は、現在は、鹿児島市内唐湊墓地にあるようです。
この招魂墓に書かれている銘文が、『江戸女人の碑文』(柴田光彦著)に載っていましたので、それを参考して書いてみました。

