白峯神宮〔今出川通り沿いの神社仏閣史跡①〕(30年京都冬の旅②)
今回の京都旅行2日は、今出川通り沿いに、神社仏閣や史跡を訪ねてきました。
主な訪問場所は、白峯神宮、大聖寺、同志社大学、相国寺、旧三井下鴨別邸です。
これらを順にご紹介していきますが、今日は、白峯神宮をご紹介します。
白峯神宮は、今出川堀川の交差点の北東にあり、今出川通りに面しています。

白峯神宮は、慶応4年、明治天皇により創建された神社です。
もともと、この神社を創建しようと思われたのは、121代孝明天皇です。
孝明天皇は、保元の乱に敗れ失意のうちに亡くなった第75代崇徳天皇の御霊を慰め、さらに未曾有の国難にご加護を祈るため、崇徳天皇の御霊を、四国・坂出の「白峰山陵」から迎え、これを祀ろうとしましたが実現しないうちに亡くなりました。
そこで、孝明天皇のその思いを継いだ明治天皇が、公卿「飛鳥井家」の邸宅地跡に創建したのが、白峯神宮です。

そして、明治6年には、崇徳天皇とともに第47代淳仁天皇も併せてお祀りするようになりました。
従って、御祭神は、崇徳天皇と淳仁天皇です。
下写真は拝殿です。

お祀りされている第75代崇徳天皇は、第74代鳥羽天皇の第1皇子で、鳥羽天皇から譲位されましたが、鳥羽上皇により近衛天皇へ譲位をしいられ,近衛天皇崩御後は、同母弟の後白河天皇が即位しました。
鳥羽上皇の死後、後白河天皇と争い、保元の乱が起きました。崇徳天皇は、保元の乱に敗れて讃岐に流され、失意のうちに讃岐でなくなりました。
崇徳天皇は、和歌が上手で、百人一首にも次の歌が載せられています。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ
この歌は、落語「崇徳院」にもなっているほど有名な和歌です。
そうしたことから、この歌の碑が、境内に建てられていました。

白峯神宮が創建された場所は、公卿飛鳥井家の邸宅跡です。
飛鳥井家は、和歌・蹴鞠の宗家でした。そこで、飛鳥井家が「まり」の守護神として代々邸内にお祀りしてきた「精大明神」も祀られています。
そのために、今では白峯神宮は、「まりの神様」とされ、野球・サッカーを始めとする球技の上達を願う人たちが大勢参拝するそうです。
拝殿には、多くのボールが奉納されていました。(下写真)

また、春季例大祭や七夕祭りには蹴鞠の奉納が行なわれています。そのための球戯場も用意されています。(下写真)

さらに、境内には蹴鞠の碑もありました。中央のボールを回転させると球運が授かります。

赤字が白峯神宮です。

