大聖寺〔今出川通沿いの神社仏閣史跡②〕(30年京都冬の旅③)
今出川通沿いの神社仏閣史跡の2回目は、大聖寺(だいしょうじ)です。
大聖寺といってもほとんどの人が知らないお寺だと思います。
それもそのはず、非公開のお寺ですので、ガイドブックにも載っていません。
しかし、大変由緒あるお寺です。
大聖寺は烏丸今出川の交差点の北東方向にある 同志社大学寒梅館の南側にあります。
下写真は、大聖寺の大玄関ですが、写真の後方に見える建物が同志社大学の寒梅館です。ちなみに寒梅館がある場所は、元は大聖寺の敷地でした。
大聖寺を訪問したのは、ここが花の御所つまり室町幕府があった場所にあるお寺だからです。
大聖寺の山門を入ると右手に、その名残りを表す「花の御所」と刻まれた石碑があります。
大聖寺は、まさにひっそりとたたずんでいるといった趣です。大聖寺は実は尼寺です。
非公開のお寺にもかかわらず、御住職様は丁寧に大聖寺のご由緒について教えてくださいました。
大聖寺は、南北朝時代の北朝初代天皇である光厳天皇の妃であった無相定円禅尼が亡くなった後、その住まいであった花の御所内の「岡松殿」を寺としたのが始まりとされています。
無相定円は俗名を日野宣子といい、足利義満の正室であった日野業子の叔母であり、光厳天皇の妃でした。
大聖寺という寺号は開基の大聖院無相定円の法名に因み、山号の岳松山(がくしょうざん)は岡松殿に由来しています。
室町時代から江戸時代末期の光格天皇の皇女まで歴代24世の内親王が住職をつとめ、明治以降は公家の子女が住職をつとめたそうです。
このように天皇家と縁の深い大聖寺ですので、山門を入ると左手(西側)に見える本堂は昭和18年に東京の青山御所(貞明皇后の御殿)から移築された建物です。下写真は山門から撮った本堂・大玄関です。
ちなみに、大聖寺は、門跡寺院であったため檀家いないそうです。
そこで、会員制の寺院維持組織があり、その会の支援により、維持されているそうです。
大聖寺の庭園は非公開ですが、京都市の名勝に指定されていて素晴らしいようです。
この庭園は元禄10年(1697)に明正天皇の河原の御殿から材料を移して作庭したものだそうです。
庫裏に庭園を写した写真が掲示されていましたので、写真を撮らせていただきました。
その写真を見ると、とても烏丸今出川に近くにあるお寺とは思えない雰囲気があります。
本堂の北西方向に「宮御殿」と呼ばれている書院があり、その前には光格天皇から拝領した花菖蒲が植えられていて、花の季節は見事だそうです。
やはり庫裏に写真が掲示されていましたので、撮らせていただきました。
大聖寺より南の今出川通りと室町通りの交差点北東隅に、「従是東北(これよりとうほうく) 足利将軍室町第址」と刻まれた石標が建てられていて、この一画に室町幕府があったことを示しています。