旧三井家下鴨別邸〔今出川通沿いの神社仏閣史跡⑤〕 (30年京都冬の旅⑥)
今日は、旧三井家下鴨別邸について紹介します。
京都に行かれた方でも、旧三井家下鴨別邸を御存知の方は少ないと思います。
それもそのはず、平成28年10月まで非公開で、平成28年10月1日から一般公開された御屋敷です。
旧三井家下鴨別邸は、下鴨神社の南にあります。
同志社女子大学を訪ねた後、徒歩10分ほどで到着しました。
旧三井家下鴨別邸は、大正14年に、三井北家(惣領家)第10代当主の三井八郎右衛門高棟(たかみね)によって整備されました。
約5700平方メートルの敷地に木造3階建ての主屋(しゅおく)、主屋につながる平屋の玄関棟があります。さらに離れとして茶室が建っています。
下写真の右が主屋、左が玄関棟です。
門を入るとまず目にはいるのが玄関棟で、玄関棟で、ボランティアガイドの説明がありました。
主屋は、京都木屋町三条に明治13年に建てられた三井家の木屋町別邸を下鴨に移築したものです。
主屋は、3階建ての建物で、1階2階は座敷となっていて、3階部分は望楼となっています。下写真は、庭園からみた主屋です。
望楼に登ると四方が見渡せるようになっていて、東山、比叡山や鴨川の眺望が楽しめるそうですが、一般には公開されていません。
しかし、1階や2階の座敷から眺める庭園が見事でした。下写真は、2階から眺めた庭園です。
旧下鴨別邸は、先祖を祭る顕名霊社(あきなれいしゃ)での例祭の際などに休憩所とするために移築されました。
呉服を扱う三井家は養蚕の神を祭る京都太秦の木嶋(このしま)神社を信仰し、木嶋神社境内に先祖を祭る顕名霊社(あきなれいしゃ)を設けていました。
明治になって、廃仏毀釈運動の高まりの中で、明治7年に顕名霊社(あきなれいしゃ)は、京都の油小路にあった三井惣領家に遷座されました。
顕名霊社(あきなれいしゃ)は、その後、一旦、木嶋神社に戻った後、明治42年に三井高利の祖父・三井高安(たかやす)の三百年忌に合わせて社殿が建てられ、下鴨に移されました。
戦後、三井財閥解体に伴って、顕名霊社(あきなれいしゃ)は、三井惣領家に戻された後、昭和33年に、三井惣領家の邸宅が処分され、京都の顕名霊社(あきなれいしゃ)は、東京の顕名霊社(あきなれいしゃ)に遷座しました。
東京の顕名霊社(あきなれいしゃ)は、三井惣領家が東京に移ったのに伴い、明治7年に、東京に分霊を勧請して創建されたものです。
戦後の財閥解体後、下鴨別邸の地は、昭和24年に国有化され、社殿の跡地には京都家庭裁判所が建てられ、昭和26年、下鴨別邸は裁判所所長の官舎になりました。それ以降平成19年まで官舎として使われました。その後、平成23年に重要文化財に指定され、現在は、京都市が管理しています。
下写真は、1階の座敷です。
京都には、越後屋の本店がありました。
旧三井下鴨別邸とは距離がありますが、ホテルからあまり距離が離れていませんでしたので、そちらも訪ねてきました。
越後屋の本店は、宝永元年(1704)に、室町通二条上ルに開店し、明治以降は三越京都支店として、昭和58年まで存続しました。
京都支店の時代には950坪の広さがあったそうですが、京都支店閉店後は、大部分の敷地は売却され、現在はマンションとなっています。
その敷地のうち68坪が記念庭園として残されました。
通常は公開されていませんので、門は閉鎖されています。
塀越しに庭園を眺めてみると、庭園内に神社がありました。
この神社は、越後屋京本店時代からお祀りされている三国稲荷大明神だそうです。
青印が三井越後屋京本店記念庭園です。