西郷隆盛と目黒のお不動様(大河ドラマ『西郷どん』⑮)
京都に行っていたため、前回の『西郷どん』「斉彬暗殺」は見落としたので、土曜日の再放送を見ました。
島津斉彬の五男虎寿丸が亡くなり、島津斉彬自身も生死の境をさまよい、怒った西郷隆盛が島津斉興にまで直訴するという展開でした。
島津斉彬は、六男五女の子供がいましたが、男の子は、全員幼くして亡くなっています。
最も大きくなった男の子が虎寿丸で、5歳でした。
その虎寿丸が、安政元年(1854)閏7月24日に亡くなりました。
その後、島津斉彬も意識不明の重態になってしまいました。
『西郷どん』では、これがヒ素によるものとなっていました。
『島津斉彬』(芳即正著)、『島津斉彬公伝』(池田俊彦著)で調べましたが、この重病について詳しくは書いてありませんでした。
この時、西郷隆盛が島津斉彬の病気回復を願ったのが、目黒のお不動様です。
『島津斉彬公伝』(池田俊彦著)に載っている西郷隆盛が鹿児島の親友福島三太夫にあてて書いた手紙には、「御煩(わずら)い重う候ては、誠に暗の世に罷り成り候と、只、身の置く処を知らず候。只今、致し方御座無く、目黒の不動へ参詣致し、命に替えて祈願をこらし、昼夜祈り入り事に御座候」(フリガナや点を適宜追加しています)と書いています。
下写真は、現在の目黒のお不動様の本堂です。

目黒のお不動様は、正式名称を龍泉寺といいます。
目黒不動尊は、第3代の天台座主となった慈覚大師円仁によって開かれた関東最古の不動霊場です。
龍泉寺と名付けられた経緯は次のような言い伝えがあります。
大同3年、15歳の慈覚大師は、伝教大師最澄のもとへ行く途上、目黒の地に立寄ったところ、不思議な夢を見ました。
面色青黒く右手に降魔の剣を提げ左手に縛の縄を持つ大変恐ろしい形相の神人が枕元に現れて『我この地に迹を垂れ魔を伏し国を鎮めんと思ふなり。来って我を渇仰せん者には諸々の願ひを成就させん。』と告げられました。
夢から覚めた後、慈覚大師自らがその御姿を彫刻したのが、御本尊の目黒不動明王です。
お寺建立を決意された慈覚大師が、法具の独鈷(とっこ)を投じると、そこに泉が湧き出ました。
そこから、この瀧は「独鈷の瀧」と名づけられ、この霊泉に因んで、寺号は「瀧泉寺」と名付けられました。下写真が独鈷の瀧です。

西郷隆盛は主君島津斉彬の病気平癒のために日参したと目黒のお不動様にも伝えられています。
西郷隆盛は、断食行を行ったとも、水垢離修行を行ったとも言われています。
「独鈷の瀧」の流れは、数十日間の炎天旱魃が続いても涸れることはなく、不動行者の水垢離場として利用されていましたので、西郷隆盛が、瀧に打たれたとすれば、独鈷の瀧に違いありません。
下写真をよくみていただくと独鈷の瀧は瀧筋が二つあり、龍頭があるところから流れおちているのがわかるだろうと思います。現在も水勢は強く、たくさんの水が流れおちています。

なお、明治になって、薩摩藩出身の東郷平八郎連合艦隊司令長官も日本海海戦の勝利を目黒のお不動様にお願いしています。

