金地院の東照宮(30年京都冬の旅⑪)
昨日紹介した湯豆腐の老舗「奥丹」の南禅寺店を訪ねた後、南禅寺の塔頭金地院を訪ねました。
金地院に東照宮があり、その東照宮を拝観するためです。
金地院は室町幕府4代将軍、足利義持によって応永年間に建立された寺院で、建立当初は北山にありましたが、南禅寺270世住職であり徳川家康の側近でもあった金地院崇伝が慶長10年(1605)に現在の場所に再建復興しました。下写真は、金地院の総門です。

金地院崇伝は、徳川家康に近侍し、禁中並公家諸法度・武家諸法度・寺院法度を起草し、大坂の冬の陣のきっかけとなった方広寺の鐘銘問題は金地院崇伝の考えと言われ、「黒衣(こくえ)の宰相」と呼ばれました。
京都に東照宮があることを知っている人は少ないだろうと思いますが、この金地院崇伝の縁で、金地院には、東照宮が建立されました。下写真は、東照宮の楼門です。

金地院の東照宮は、寛永5年(1628)に創建され、国の重要文化財に指定された貴重な建物です。
徳川家康の遺命により創建されたもので、本殿には家康の遺髪と念持仏が納められているそうです。
金地院の東照宮も、本殿と拝殿の間に石の間を置く「権現造」ですが、京都では権現造りの神社は、ここだけだそうです。下写真は拝殿です。

拝殿の天井には、狩野探幽の筆による「鳴龍」が描かれています。その下で手を叩くを鳴くような音がするため「鳴龍」と呼ばれているそうですが、昇殿できませんので、お賽銭箱の前から撮りました。(下写真)

「金地院」の「亀鶴の庭」は、金地院崇伝が徳川家光のために小堀遠州に命じ5年をかけて作らせた枯山水庭園で国の特別名勝に指定されている名園です。
ほとんど訪ねる人がいないなかで、ゆっくりと眺めることができました。

鶴亀の庭は、伏見城から移築されたという方丈の前にある庭園で、方丈には、鶴亀の庭から縁側に昇り拝観することができますが、写真撮影禁止でした。
下写真は、方丈の横から写した写真です。

金地院の拝観窓口で受付をして順路に従って歩いていくと、最初に目に入る唐門が「明智門」です。
明智光秀ゆかりの門で、光秀が母の菩提を弔うために同じ京都にある名刹、「大徳寺」に建立したものであるため、「明智門」と呼ばれています。
明治になって金地院に移築されたものです。

金地院は、訪れる人も少ないように思いました。多分、行楽シーズンでも「金地院」を拝観する人はそれほど多くないだろうと思います。
今日紹介したもの以外に、時間の余裕があれば、重要文化財の茶室「八窓席」や長谷川等伯の「猿猴捉月図」(これも重要文化財です)も特別拝観することができます。
金地院は、静かに重要文化財や名園を眺められるということで、穴場中の穴場だと思います。
赤印が金地院です。青印が「奥丹」です。

