行人坂(目黒史跡散歩①)
今日から、目黒不動尊周辺の史跡をご案内していきます。
今日は、まず、行人坂についてご案内します。
目黒駅西口を出て、南側の交差点の南西方向に向かいます。そこから、急な下り坂がありますが、それが行人坂です。
《行人坂》
行人坂の中ほどに、石造の勢至菩薩がお祀りされています。
その勢至菩薩についての案内板の下に行人坂について説明されています。(下写真)

それによれば、行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が大日如来堂(現大円寺)を建てて修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったので行人坂となづけられたといいます。
ちなみに行人とは、仏の道を修行する人をいい、行者ともいいます。
行人坂は、江戸時代には、江戸と目黒を結ぶ重要な道路で、目黒のお不動様へ参詣するための道としてにぎわった道でもあります。
行人坂が大変急な坂であるのは、この辺りの地形によるものです。
目黒区史には、目黒川を挟んで北側が急斜面で、南側が緩やかになっているのは、氷河期の気候の影響によるものと書かれています。
《目黒側架橋供勢至菩薩石像》
行人坂の途中の大円寺の入り口前に「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」という52センチの像が祀られています。

勢至菩薩像は下から台座、蓮座、頭上に宝瓶(ほうびょう)のついた宝冠をかぶり、両手合掌、半跏趺座(はんかふざ)の勢至菩薩像の3段になっています。

その台座の全面と両側面に、江戸中期における目黒川架橋のことを述べた銘文が刻まれているとのことですが、実際に読むのはなかなか困難です。
銘文には、宝永元年(1704)に西運という僧が、目黒不動と浅草観音を1万回一日おきに参詣し、往復の途中江戸市民の寄進をうけ、目黒川の両岸に石壁を築いて橋を架けたと刻まれているそうです。
西運というお坊さんは、お七火事で有名な八百屋お七の恋人であった吉三が、お七の処刑後に出家した姿と言われています。
《富士見茶屋》
行人坂の上は、江戸時代は、大変風向が明媚な場所で、西側を見ると富士山がよく見えたそうです。
下の浮世絵は「江戸自慢三十六興 目黒行人坂富士」という歌川豊国の浮世絵ですが、これを見ると、富士山が非常によく見えたことがわかります。

そうした富士山が眺めれる風光明媚なところであったため、ここの茶屋は富士見茶屋と呼ばれていました。
それを説明した説明板が行人坂の途中にあります。(下写真)

その説明板の場所から西を見るとホリプロダクションの本社が正面に見えます。(最下段写真)


