岩屋弁天とおしろい地蔵〔蟠龍寺〕(目黒史跡⑥)
太鼓橋を渡る道を真っ直ぐに西に進むと山手通りに当たります。
そこには横断歩道はありませんが、左手に歩道橋がありますので、その歩道橋を越えると、蟠龍寺が見えてきます。
目黒行人坂付近に慶安元年(1648)に開創された称明院というお寺がありました。
蟠龍寺は、そのお寺を、増上寺の霊雲上人が宝永6年(1709)現在地に移し、称明院蟠龍寺と改名し再建したお寺です。
霊雲上人は、「江戸名所図会」によれば、吟蓮社竜誉一雨霊雲和尚と号し、上野国新田の大光院を隠退した後に蟠龍寺を開いたと書いてあります。
蟠龍寺の山号は霊雲山といいますが、この山号は霊雲上人の名前に由来するのではないかと思います。
参道に「不許辛肉酒入山門」と刻まれた石柱があります。(下写真)
「辛肉酒(しんにくしゅ)、山門に入るを許さず」と読みますが、寛政6年(1794)律院(戒律を厳守する寺院)となった名残りです。
参道を少し進むと本堂があり(下写真)、 本堂には本尊として「木像阿弥陀如来像」があります。都の文化財に指定されています。
蟠龍寺は、山手七福神の一つ岩屋弁財天がお祀りされています。
名前の通り、本堂の北側の脇の岩窟内(下写真)に弁天様がお祀りされています。
「江戸名所図会」にも、「蟠龍寺、窟(いわや)弁天祠」として絵が描かれている江戸時代から有名な弁天さまです。
岩窟内にお祀りされている弁天様は八臂(8本の手をもつ)の石造の弁天様です。(下写真)
岩屋からすぐそばに弁天堂(下写真)があり、そこには木造弁財天(八臂の天女像)が安置されています。
弁天堂の下には、美人になれる御利益があるという「おしろい地蔵」がお祀りされています。(下写真)
説明板によれば、もともとは浅草にあり、関東大震災で被災したため、蟠龍寺に移ってきたお地蔵様です。
言い伝えによれば、顔に痘痕(あばた)がある娘さんが人並みの結婚ができず悩んでいましたが、このお地蔵様にお願いしたら痘痕が消え、幸せな障害を送ることができたそうです。
また、江戸時代の歌舞伎役者がおしろいに含まれる鉛の害に悩み、お地蔵様のお顔におしろいをつけて願をかけたと言われているそうです。
赤印が蟠龍寺です。 青印が太鼓橋です。