海福寺の四脚門〔海福寺①〕(目黒史跡散歩)
蟠龍寺から目黒のお不動様に向かって歩いていくと右手に海福寺があります。
今日は、その海福寺のご案内です。
海福寺は、東京ではあまり数多くない黄檗宗の寺です。道路脇にある左の門柱に明記されています。

黄檗宗は、江戸時代初めに、中国の隠元禅師が伝えた禅宗の一派で、黄檗宗として最も有名なお寺は総本山の宇治万福寺でしょう。
海福寺は、永寿山海福寺は、元々は深川寺町通りにある真言宗の寺でした。
承応3年(1654)に明の福建省より隠元禅師が来朝した時、海福寺の住職独本は長崎に赴き弟子となりました。
隠元禅師は万治元年(1658)に4代将軍徳川家綱に招かれ江戸に下りました。
その際、独本は海福寺を真言宗から黄檗宗に改宗し、隠元禅師に開山となるようお願いし、自分は二世住職に就きました。
山城国宇治に総本山の万福寺が創建されたのは、寛文元年(1661)です。
海福寺は、万福寺より3年早く創建されましたので、日本で最初の黄檗宗のお寺ということになります。
海福寺は水害を避け明治43年に現在地へ移転しました。
山門の赤い四脚門(しきゃくもん)は目黒区の指定文化財で、宇和島藩伊達家から寄進されたものです。(下写真)
明治後期に新宿区上落合の泰雲寺(現在は廃寺)から移築されました。
四脚門は中央にある親柱2本とその前後に2本ずつある4本の控柱からきた名称で日本建築の代表的な門の形式です。

山門には、宇和島藩伊達家の宇和島笹と呼ばれている家紋がついているとのことですが、表や裏を探しましたが見つかりませんでした。
実は妻側に鮮やかな宇和島笹がありました。下は拡大です。


海福寺の本尊はお釈迦様ですが、本堂(下写真)に安置されている木造阿弥陀如来立像は目黒区の文化財に指定されています。

境内の梵鐘(下写真)は、天和2年(1682)に海福寺が全焼した際に梵鐘も焼けたため、天和3年(1683)鋳造されたものです。
隠元が鐘の新鋳を祝う銘文が刻まれているそうです。
この梵鐘は東京都の指定文化財となっています。


