永代橋崩落事故の供養塔〔海福寺②〕(目黒史跡散歩)
海福寺の山門に至る左手に、永代橋崩落事故でなくなった人たちの供養碑があります。
永代橋はいうまでもありませんが、隅田川に架かる橋です。
この橋が、文化4年に崩落するという事故がおきて、大勢の人がなくなりました。
この事故の供養碑が、隅田川から遠く離れた目黒にあるのは、海福寺が明治になってから移転してきたからです。
永代橋崩落事故の供養碑は、東京都の文化財に指定されていて、東京都教育員会の説明板では、「文化4年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑」と長い名前が付けられています。(下写真)

山門左手前の「文化4年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑」は、文化4年(1807)の深川富岡八幡宮大祭の時に起こった永代橋崩落事件の死者供養のために建てられたものです。
文化4年8月の深川富岡八幡宮の大祭は12年ぶりに開催されたため大変な賑わいとなりました。
その時、一刻、永代橋が通行止めとなり、さらに混雑の度合いが高くなりました。そして、通行止めの解除と同時に一挙に大勢の人々が永代橋を渡りました。
その際、群衆の重みに耐えかねた永代橋が崩落し多数の溺死者を出すという大惨事が発生しました。溺死者440名とも言われ江戸はじまって以来の大惨事でした。
その時、永代橋近くにあった海福寺には身元不明の無縁仏が埋葬されました。
そして、百日忌、五十回忌、七十七回忌、九十一回忌の追善供養が行われました。
そのうち百日忌に供養塔が建立され、五十回忌に「永代橋沈溺横死諸亡霊塚」が海福寺境内に建立されました。
供養塔2基あるのうち左が永代橋崩落事故の犠牲者の供養塔です。右手のもの海福寺の歴代御住職の供養塔だそうです。

左の供養塔の向って右手の台座をみると「無阿弥陀仏」の文字の横に「百ヶ日」と刻まれています。(下写真)

供養塔の前にある「永代橋沈溺横死諸亡霊塚」と刻まれているのが五十回忌に建立された塚です。(下写真)

この塚の台座にも「五十回忌供養」と刻まれています。(下写真)


