「D51会」の皆さんと浅草寺を散歩してきました!
昨日は、以前勤めていた会社の業界研修で一緒だった人たちでつくっている「D51会」の仲間と一緒に浅草寺を散歩してきました。
昨日は、雲一つない快晴で暑いくらいの陽気で、ゴールデンウィーク初日の浅草寺は大勢の人でごったがえしていました。
集合時間より早めにいきましたら、本堂裏で「泣き相撲大会」(下写真)が開かれていて、こちらも大勢の見物客であふれていました。

雷門に集合して、浅草寺の主な見どころを案内しましたので、スナップを中心にアップします。
雷門は左右に風神雷神を安置していることから、正式には「風雷神門」と言います。昭和35年に松下電器産業(現パナソニック)創業者松下幸之助さんの寄進により、再建されたものです。
松下幸之助さんが寄進した大提灯の底には、金龍山という浅草寺の山号にちなみ、龍が彫られています。(下写真)

宝蔵門は、元々は、仁王様を祀っていたことから仁王門と呼ばれていました。
仁王門は、昭和20年3月10日の空襲で焼失してしまいました。
そこで、昭和39年にホテルニューオータニの創業者である大谷米太郎(よねたろう)氏の寄進により建築されました。宝蔵門には、大谷米太郎さんの「レリーフがはめ込まれています。下写真は、宝蔵門をみる参加者の皆さん

現在、浅草寺では、「伝法院庭園特別拝観と大絵馬寺宝展」が5月7日まで開催されていて、伝法院庭園が公開されていますので、そこにご案内しました。
下写真は、伝法院庭園内に保管されている「石棺」の説明板をみる参加者の皆さんです。

伝法院庭園の後、本堂にお参りしました。本堂の中の内陣まで入れますので、内陣で、お参りさえてもらいました。
本堂は大勢の参拝客でごったがえしていました。(下写真)。しかし、外の喧騒とうってかわって内陣の中は静寂で、参拝客も私たちグループ以外はほどんどいない状況でゆっくりお参りさせてもらいました。 参加者全員が、内陣まで入るのは初めてということで大変喜んでくれました。

浅草寺の本堂は、昭和20年の東京大空襲により焼失しました。
その時、御本尊の観音様は地中に埋められていましたので、焼失を免れました。
その御本尊様を御守りした天水桶が、本堂の西側の淡島堂に保存されています。 下写真は、天水桶を見る参加者の皆さん。

浅草寺の観音様のお参りしてあと浅草神社にもお参りしました。
浅草の観音様を掬い上げお祀りした土師中知、檜前浜成・武成の3人をお祀りしています。そのため、江戸時代は「三社様」と呼ばれていました。下写真は浅草神社にもお参りする参加者の皆さん。

浅草神社にお参りした後は、二天門のご案内をしました。
二天門は、浅草神社の東にあり、四天王のうちの持国天と増長天をお祀りしています。もとは、江戸時代初期に浅草寺にあった東照宮の随身(ずいじん、ずいしん)門として作られましたが、明治時代の神仏分離の際、両随身像は浅草神社に移られ、それにかわり倉の鶴岡八幡宮の経蔵にあった二天をお祀りして「二天門」と改称しました。
下写真は、二天門の説明板を見る参加者の皆さん。

最後に本堂前で撮った集合写真をアップしておきます。
昨日の浅草寺散歩にご参加されたD51の皆さん、お疲れ様でした。


