青木昆陽の墓〔目黒不動尊③〕(目黒史跡散歩⑬)
瀧泉寺の墓域に、青木昆陽のお墓があります。
ただ、本堂からはちょっと離れています。(下記地図をご覧ください。)
青木昆陽は晩年、富士山を望む景勝地の目黒を好み、目黒に別邸(下屋敷と書いてある本もあります)を構えて、「なくなったら目黒に葬むるように」と言い残しました。そのため、目黒のお不動様にお墓があります。

青木昆陽の遺言のなかに次の一文があります。
我等死去いたし候ハヾ目黒へ葬り可申候 勿論軽ク葬り可申候 我等存生之間彫り申候石塔ヲ建可申候 外二碑銘杯建申間敷候 我等何之功徳無之二碑銘ヲ建ハ甚恥手事二候
つまり、死んだ場合は目黒に埋葬し、生前に彫った石塔だけを建てることと言い残しました。そのため、青木昆陽の下屋敷の南にあたる地にお墓が建てられました。
お墓の表面にある「甘藷先生墓」の文字は青木昆陽が生前自ら刻んだものです。お墓の向かって左面に青木昆陽が自ら「甘藷先生之墓」と刻んだ壽塚(せいぜん建てた墓)を作ったと刻まれています。

青木昆陽のお墓が少し高くなっていますが、その台座は、東京の薩摩芋問屋が明治2年に造ったものです。

青木昆陽のお墓の向かって左脇に「誠心孺人(じゅじん)墓」と書かれたお墓があります。
これは青木昆陽の妻「住(すみ)」のお墓です。住(すみ)の法名は「自光院殿照誉智鏡誠心大姉」です。

独鈷の瀧の脇に、大きな青木昆陽に関する石碑があります。
よく読むと「昆陽青木先生碑名」と刻まれています。
この石碑は、明治45年に建立されました。
碑文は、蘭学者大槻玄沢の孫大槻文彦が書いています。全文が『年譜青木昆陽傳』(青木七雄編集)に載っていますが、長いので、ここに転載するのをやめます。
その隣にあるのは「甘藷講碑」です。こちらの碑文は短いので全文を掲載しておきます。
青木昆陽先生諱敦書通稱ヲ文蔵卜云、元禄十一年江戸二生ル明和六年歿、壽七十二先生嘗テ甘藷ハ凶救ノ好食物タルヲ知、栽培シ書ヲ著シ廣ク衆庶二頒ツ該法各地二傅播シ到ル成種養セザル無二至レリ故二其ノ徳ヲ稱シテ墓二彫シ甘藷先生卜云、予輩亦甘藷ノ賣ヲ業トシ其洋二浴ス因ッテ該事ヲ石記シ以永遠二傅ント為卜云爾
干時明治三十一年五月上浣建之 (當山六世現住 清香良水書)

目黒のお不動様では、毎年10月28日の目黒不動の緑日に青木昆陽の遺徳を偲んで「甘藷まつり」が開催されています。
「甘藷まつり」、以前は甘藷先生の命日である10月12日に行われていましたが、戦後から、目黒不動の縁日に合わせて28日に行われるようになったそうです。
赤印が青木昆陽のお墓です。青印が目黒不動尊の本堂です。

