白井権八・小紫の比翼塚(目黒史跡散歩⑯)
今日は、目黒のお不動様の仁王門前にある「白井権八・小紫の比翼塚」について書いていきます。
目黒のお不動様の仁王門から道路を挟み西南の方向の道路脇に「白井権八・小紫の比翼塚」があります。
案内板もあるし、南側にはお稲荷様があるので、少し注意をしてみればすぐにわかると思います。

白井権八とは、江戸時代初期の元鳥取藩の武士で、本名を平井権八といいます。権八は、父を侮辱した家中の者を斬り、江戸に逃れ、大名屋敷に徒として奉公しました。そうしているうち、吉原三浦屋の遊女小紫と馴染みとなりますが、徒奉公はいわゆる三両一人扶持という安月給のためお金があるはずがなく、金策のため辻斬りを重ねて、ついに鈴ヶ森で磔刑に処されました。
目黒不動の前に、江戸時代には、普化宗の東昌寺というお寺がありました。
普化宗は、臨済宗の一派で虚無僧の宗派です。武家の浪人が多く、下総小金の一月寺、青梅の鈴法寺を本山としました。
東昌寺は、『江戸名所図会』を見ると、「虚無僧寺」として紹介されています。
東昌寺の住職随川は、権八に尺八を教えていた縁で、遺骸を東昌寺に葬りました。
これを知った三浦屋の遊女小紫は、吉原を秘かに抜けだし、墓前で後追い心中したと言われています。

明治4年に本山とされた一月寺や鈴法寺は廃寺となり、普化宗は廃止され、東昌寺も廃寺となりました。
東昌寺境内に建てられていた比翼塚も、幕末の切絵図に「ヒヨクツカ」とカタカナで書かれている程有名でしたが、東昌寺が廃寺となった後、各地を転々とし、昭和37年に現在地に設置されました。

「権八小紫」の話は、歌舞伎などに取り上げられています。代表的なものが鶴屋南北の『浮世柄比翼稲妻』です。
この演題は、幡随院長兵衛ものと権八小紫ものが一緒になったもので、幡随院長兵衛の「お若ぇのお待ちなせぇ」と白井権八の「雉も鳴かずば撃たれまい」は大変有名なセリフです。
赤印が「白井権八・小紫の比翼塚」です。

