「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」西日暮里駅編
昨日は、「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」で、日暮里・谷中の寺々を巡ってきました。
少し暑いぐらいの陽気でしたが、天気は、快晴で心地よく散歩することができました。ご参加いただいた皆様お疲れ様でした。
昨日のコースは、西日暮里駅スタートで千駄木駅までの次のコースでした。
西日暮里駅 ⇒ 西日暮里公園 ⇒ 高村幸太郎の碑 ⇒ 諏方神社 ⇒ 浄光寺 ⇒ 富士見坂 ⇒ 養福寺 ⇒ 啓運寺 ⇒ 延命院 ⇒ 経王寺 ⇒ 本行寺 ⇒ 朝倉彫塑館(休憩を含む) ⇒ 観音寺 ⇒ 功徳林寺 ⇒ スペース小倉屋 ⇒ 間間間 ⇒ 天龍院 ⇒ 全生庵 ⇒ 大円寺 ⇒ 東京メトロ「千駄木」駅
散歩の様子を、スナップで紹介します。
西日暮里公園は、もとは、青雲寺から、明治7年に加賀藩前田家の墓地として売却され、それ以降、昭和47年まで、前田家の墓地でした。ここには、前田家13代当主(藩主としては12代)前田斉泰(なりやす)ほか4代の神式の墓地がありましたが、昭和47年に金沢に改葬され、前田家墓地の跡地に西日暮里公園が開設されました。

諏方神社は、日暮里・谷中の総鎮守です。社名が「諏訪」ではなく「諏方」となっていますが、現在は全国の諏訪神社の大部分は「諏訪」と表記し「諏方」と書くのは数社とのことです。

浄光寺には、山門の左手に、高さ1丈(約3メートル)の銅造地蔵菩薩立像があります。元禄4年(1691)、空無上人により江戸六か所に建てられた六地蔵の三番目として開眼されたお地蔵様です。写真の右の立像の方が六地蔵の三番目のお地蔵様です。

養福寺の境内に赤くそびえる仁王門は、宝永年間(1704~1711)の建立と伝えられ、そこに安置されている仁王像宝永4年(1707)に造られたものです。戦災を免れて江戸の姿を残してくれています。

日蓮宗の延命院では、江戸時代の後期に、「延命院事件」と呼ばれる延命院住職日潤(日道とも言われる:歌舞伎では日当)の女犯(にょぼん)事件が起こり江戸を揺るがせました。
この事件は、河竹黙阿弥によって歌舞伎『日月星享和政談(じつげつせいきょうわせいだん)』(通称「延命院日当」)に脚色され、明治11年東京・新富座で5代目尾上菊五郎の日当で初演されました。
その上演にあたり、日潤上人追善のため5代目尾上菊五郎と12代守田勘弥によって建てられた供養塔が本堂前にあります。供養塔には「日硯院日潤聖人」と刻まれています。 写真右にあるのが供養塔です。

功徳林寺がある場所は、江戸時代は、天王寺の境内で、塔頭の福泉院があり、そこに笠森稲荷社がありました。
明治になって、福泉院は廃寺となり、笠森稲荷は寛永寺の養寿院に移っています。功徳林寺の笠森稲荷は明治41.2年の頃建てられたものだそうです。

全生庵は山岡鉄舟が、幕末・維新の際に国事に殉じた人々の菩提を弔うために、明治16年に建立した寺で、山岡鉄舟自身も、全生庵に眠っています。

大円寺は、日蓮宗のお寺ですが、境内に大正8年に建てられた「錦絵開祖鈴木春信」碑と「笠森阿仙之碑」があります。
大円寺に笠森お仙と鈴木晴信の碑が建てられたのは、大円寺に瘡守薬王菩薩(笠森稲荷)がお祀りされていた縁によるものだそうです。


