延命院の七面大明神(日暮里・谷中史跡巡り①)
「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」で西日暮里駅をスタートして、日暮里と谷中の寺を巡ってきましたので、今日から、順に詳細をご案内します。
歩いた順ではなく、今年の江戸検のお題「江戸のヒロインたち」に関係する史跡を初めにご紹介をします。
最初は、延命院をご案内します。延命院は、日蓮宗のお寺で、日暮里駅から徒歩5分の所にあります。

延命院の創建については諸説があるようですが、どれが有力な説なのかハッキリしませんので、それぞれの説明を書いておきます。
荒川区教育委員会設置の説明板には「開基は4代将軍徳川家綱の乳母三沢局。家綱出生の際に、安産を祈とうした日長が、三沢局の信施を受け、甲州身延山の七面大明神を勧請。慶安元年(1648)別当寺として延命院を開創したという」と書いてあります。
『江戸名所図会』には、「七面大明神社」と書いてあり、「開山日長上人、万治三年庚子〔1660〕正月16日夢中に霊告を得て後勧請すといへり。ある人いふ、慶安元年(1648)三沢局(?―1658。幕臣小堀政貞の母・徳川家綱の乳母)甲斐の七面山へ千日の間参籠し、夢中に鱗一枚感得す。よって当社を建立し、厳命によって延命院と号(なづ)くるとぞ。」と書いてあります。
『荒川区の文化財』には、「七面堂は七面社とも呼ばれ、甲州(山梨県)身延山久遠寺の鎮守七面山から、万治三年(1660)日長上人が勧請したといわれます。また、慶安元年(1648)徳川家糾の母三沢の局が勧請し、堂宇を寄進したとも伝えます。」と書いてあります。
延命院が配布している資料では、「寛永17年(1640)日長上人は徳川幕府第3代将軍徳川家光に城中へ召され 側室於楽の方の男子出生と安産の祈願を命ぜられ 翌寛永18年(1641)出生と共に 再び城中に召され 家綱の武運長久と国家安泰の祈願を命ぜられました。
4代将軍徳川家綱の乳人であった三沢局(=浄心院殿妙楽日求大姉)が開基となり 七面大明神社(=谷中七面社)の別当寺院として慶安元年(1648)日長上人により現在の地に開創されました。
どれを読んでも、経緯が多少ことなっているものの、日長上人と三沢局が関係していますので、この二人が創建に関わっているのは間違いないものと思います。
《七面大明神》
七面大明神は、日蓮宗の守護神です。
延命院に勧請された七面大明神は、七面堂(本堂)に安置されています。下写真が本堂です。
ただし、七面大明神は秘仏で年3回、1月19日、3月19日、9月19日だけ御開帳となります。
延命院の七面大明神は、江戸時代は大変有名で多くの信仰を集めていました。
そのため、延命院門前の西に下る坂は、七面大明神にちなんで七面坂と呼ばれています。
また、放火したため火刑に処せられたことで有名な八百屋お七は、その母親が七面堂にお願いして生まれた娘であるので七面大明神にちなんで「お七」と名付けたという俗説もあります。
境内には、「七面大明神安置」と刻まれた江戸時代に建立された石柱も残されています。(下写真)

《延命院の大椎(おおしい)》
延命院の大椎は樹齢600年を越えるといわれていて、東京都の天然記念物に指定されています。幹の周囲約5メートル、高さ約16メートル、枝張り南北約23メートル、東西約14メートルの巨木でしたが、平成14年に幹内部が朽ちたため、南側の大きな枝が崩落し、現在の形となったようです。

赤印が延命院です。

