浄光寺(日暮里谷中史跡めぐり⑧)
浄光寺は、諏方神社の南側脇にあり、真言宗豊山派の寺院です。
浄光寺には、江戸六地蔵の一つのお地蔵様が鎮座しています。
江戸六地蔵というと品川寺や東禅寺の大きなお地蔵様が有名です。これは深川の地蔵坊正元という人が建立したものですが、それ以前に 元禄4年(1691)に空無上人が開眼した六地蔵がありました。
こちらの六地蔵は、一番駒込瑞泰寺、二番目千駄木専念寺、三番目が浄光寺、四番目心行寺、五番目上野大仏堂、六番目浅草寺内正智院に安置されました。
浄光寺の地蔵菩薩は、その三番目にあたります。門前にそれを記した石柱があります。現在は、六地蔵の中で残っているのは、ここと専念寺(文京区千駄木)だけとなっています。
浄光寺の山門前には六地蔵三番目と刻まれた石柱が立っています。
山門をくぐるとお地蔵様が二体鎮座していますが、向かって右手の立っているお地蔵様が、六地蔵の三番目のお地蔵様です。
高さ1丈(約3メートル)の銅造地蔵菩薩立像です。
元禄4年(1691)、空無上人により建てられたお地蔵様です。
以前は、門のかたわらの地蔵堂に安置されていて、門前は「地蔵前」とも呼ばれていたそうですが、昭和4・5年頃に山門内に移されました。
お地蔵様の向かって左に水盤がありますが、この水盤には六地蔵三番目と刻まれています。
立像の隣にある坐像の銅造地蔵菩薩は、文化6年(1809)に鋳造されたもので、台座の正面向かって右手隅に「文化十癸酉歳 五月吉日」と刻まれています。
立像・座像ともに荒川区の有形文化財です。
地蔵菩薩像の手前の山門側に8基の庚申塔群がありますが、このうち、下写真の右下の塔を除いた7基が荒川区の有形民俗文化財に登録されています。
元文2年(1737)には8代将軍吉宗が鷹狩の途中で浄光寺に御成りとなり、以後幕末まで、浄光寺は、鷹狩の際に将軍の御膳所となりました。境内には、将軍が来訪した時に腰掛けたとされる「将軍の腰掛けの石」が残されているとのことですが、一般には公開されていません。
また、浄光寺は、諏訪台の高台に位置し、展望が開け眺望がすばらしく、特に雪見に適することから、江戸時代は雪見寺とも呼ばれました。
赤印が浄光寺です。青印が諏方神社です。