養福寺(日暮里・谷中史跡巡り⑨)
浄光寺を南に少し歩くと養福寺があります。
養福寺は真言宗豊山派のお寺で創建の時期ははっきりませんが、中興は、湯島円満寺の木食義高上人と伝えられています。

門の左手に石柱が立っています。よく見ると「西國貮拾七番播磨國書寫寺寫」と刻まれています。旧字が多いので新字で書くと「西国二十七番播磨国書写寺写」となります。(下写真)

右手には「安永九年九月」という所まで確認できますが、それ以下には「願主南伝馬町壱丁目亀屋藤七同藤吉」と刻まれているようです。
これは西国三十三箇所観音参りを江戸に写したもので、『東都歳事記』には、「上野より王子駒込辺西国の写し三十三所観音参」の中で「廿七番日暮里養福寺播州書写山写如意りん」と書いてあります。平凡社の『東都歳事記』では第3巻の130ページに書いてあります。
《仁王門》
境内に入ると赤い仁王門が目に入ります。

この仁王門は、宝永年間(1704~1711)の建立と伝え、表側に安置されている仁王像の胎内から、宝永4年(1707)の銘札が発見されており、山門もほぼ同年代に建築されたものと推定されています。
門の裏側には広目天と多聞天の二天王像が安置されていますが、散歩した時には、東京国立博物館で展示公開のため、山門にはありませんでした。
《談林派歴代の句碑》
山門の奥にある「談林派歴代の句碑」がありますが、なかなか見つかりにくい所にありますので、よく探してください。
「談林派歴代の句碑」は、西山宗因(そういん)を祖とする談林派歴代の句碑で、梅翁花樽(ばいおうかそん)碑・雪の碑・月の碑が並んでいます。
中央が梅翁花樽碑、右側の碑が月の碑で、左が雪の碑です。左手前には「発起玉池谷疎外」と刻まれた菱形の標石があります。

このうち中央に建っている梅翁花樽碑は、寛政4年(1792)に2代井原西鶴の百年忌を記念して、谷素外(たにそがい)が供養のため建碑したものです。
石碑の正面には「江戸をもって鑑とす也花に樽」の句が刻まれていて、左右には談林派の2代から6代に至るまでの句が、裏面には初代から6代までの没年が刻まれています。2世松寿軒西鶴と刻まれているのが、有名な井原西鶴のことです。

《柏木如亭の碑》
談林派歴代の句碑の奥に「柏木如亭の碑」があります。
柏木如亭は、市河寛斎、大窪詩仏、菊池五山とともに江戸の四大詩人と称されています。
この碑は、文政3年(1820)に江戸を始め各地の友人が柏木如亭をしのんで建てたものです。「柏山人碑」の篆額は陰陽頭安倍晴親の字で、文字は大窪詩仏の書です。

赤印が養福寺です。

