白木屋店員のお墓〔東北寺①〕(広尾・恵比寿散歩①)
今日から、広尾・恵比寿散歩で訪ねた史跡を紹介していきます。
最初は東北寺(とうぼくじ)を紹介します。東北寺の呼び名は「ぼく」と濁ります。
東北寺は、恵比寿駅から歩いて10分弱の明治通りから一本北側の通り沿いにあります。下写真は、東北寺の山門です。
東北寺は、臨済宗妙心寺派のお寺で至道無難が寛永6年麻布桜田町に創建しました。その後、米沢藩2代藩主上杉定勝の側室生善院が中興開基となり、元禄9年(1696)現在地へ移転し、寺号を東北寺に改めたといいます。
《白木屋寄進の「三界万霊等」》
東北寺は、延享3年(1746)に火災にあって全山が焼失します。この時に一旦再建された後の本格的な再建を支援したのが白木屋6代目の大村彦太郎商全です。
白木屋が東北寺の再建を支援したのは、渋谷区史によれば、東北寺の開山であった至道無難(俗名相川源左衛門)と初代白木屋大村彦太郎 が親戚関係にあった縁によるものだそうです。
東北寺では、天明8年に、初代大村彦太郎の百回忌法要が行われ、「三界万霊等」と刻まれた塔が建立されました。この塔は墓地入口に現在も残っていて、台石には「大村家内中」と刻まれています。その脇には同じ頃に建立され石造地蔵尊があります。お地蔵様の台石には、「大邑姓」と刻まれています。
《白木屋店員の墓地》
東北寺には、白木屋の店員の墓地もあります。
中央奥の地蔵菩薩像を挟んで、両側に整然とした墓がたっています。
このほとんどが無縁となった白木屋の店員のお墓で、渋谷区史によれば123基建てられているそうです。
地蔵菩薩像の建立時期ははっきりしませんが、渋谷区史によれば「日本橋白木屋店長白井三郎兵衛立」とあるとのことで、文化6年(1809)から文化10年まで白木屋日本橋店の支配人をしていた白井三郎兵衛が建てたものと考えられています。
昭和7年12月16日に起きた白木屋火災で亡くなった人たちは、それぞれの菩提寺に眠っているため東北寺の墓地には眠っていないそうです。
赤印が東北寺です。