祥雲寺(広尾・恵比寿史跡巡り③)
祥雲寺は、臨済宗大徳寺派のお寺です。祥雲寺は、東京メトロ広尾駅から徒歩3分の至近距離にあります。
しかし、参道と山門(下写真)は東側にありますので、恵比寿駅方面から行くと境内の周りをまわって山門に向かうことになります。
祥雲寺は、江戸時代を通じて臨済宗大徳寺派の「触頭」(寺院統制のため寺社奉行からの指示事項を下達し、本山および一般寺院からの上申事項を寺社奉行に届け出る仲介をした寺)でした。
また「独札」(江戸城に登城し将軍に単独謁見でき、乗輿も許される)の格式を誇っていました。
その面影は、現在も残っていて、境内は大変広く、庫裏も緑の中にあります。(下写真)
祥雲寺は、福岡藩2代藩主の黒田忠之が、父の黒田長政の冥福を祈るために黒田長政が亡くなった元和9年(1623)に創建したお寺です。
黒田長政は大徳寺の龍岳宗劉和尚を尊敬していたため、龍岳を招いて開山として、赤坂溜池の屋敷に建立し、長政の法名「興雲」をとって龍谷山興雲寺といったのが始まりです。
寛永6年(1629)、麻布市兵衛町(いまの東京メトロ六本木一丁目駅がある周辺)に境内地を拝領し、そこに移り、瑞泉山祥雲寺と寺号を改めました。
この麻布市兵衛町の境内地は、曲直瀬玄朔の屋敷であったようです。
寛文8年(1668)火災に遭い、祥雲寺の境内は御用地になって、かわりに現在地を拝領し移転しました。
こうした創建の経緯から、祥雲寺は黒田家の菩提寺となっています。
さらに、黒田家だけでなく、そのほか多くの大名家の菩提寺となっていて、渋谷区史に書いてある天保14年の書上では、檀家は武士ばかり64家で、大名の檀家が19家、旗本が33家、諸藩士12家となっているそうです。
《鼠塚》
墓地入口の右手に見える大きな石碑は、明治32年から数年間ペストが流行したとき、予防のために、東京市は1匹あたり5銭で鼠を買い上げました。
その際に殺された鼠の霊を供養するために明治35年に建てられた慰霊碑です。
赤印が祥雲寺です。青印は東北寺です。