高尾太夫は7代?(高尾①)(江戸のヒロイン)
江戸検の今年のお題は「江戸のヒロインたち」ですが、お題テキスト「江戸のヒロインたち」(下写真)も出版されていて、江戸検を受検される人は、その準備を本格化させていることだと思います。受検される皆様ぜひ頑張ってください。

そのお題テキスト「江戸のヒロインたち」に載っている「高尾太夫」について書いていきます。
お題テキストには、高尾太夫は、吉原の三浦屋の名妓で、7代とも11代まで続いたともいわれていると書いてありますが、お題のテキストには、万治高尾、紺屋高尾、榊原高尾の三人だけが紹介されています。
高尾太夫について書いた本はなかなか見つかりませんでした。
唯一「高尾考」が詳しく書いた本のように思います。
そこで、「高尾考」に基づいて、高尾太夫について書いていきます。
「高尾考」は、燕石十種第一巻に収録されています。
燕石十種第一巻その「高尾考」の解説によると、太田南畝と山東京伝の共編著に加添されてできた書であろうと書いてあります。
従って、ベースになるのは太田南畝と山東京伝の著作ということのようです。
「高尾考」には、遊女高尾が何代までいたかについて、いろいろな考えが紹介されています。
冒頭の部分では、高尾が七代まであると書いてありますので、今日は、この7代説に従って書いていきます。
初代高尾は仙台高尾とされています。
初代高尾については、仙台萩に詳しいと書いてあり、法名伝誉妙順といい、土手の道哲に墓ありと書いてあります。
2代目高尾はさい上高尾です。
紀州藩徳川家の家来の最上吉右衛門が請出したので、さい上高尾というと書いてあります。
3代目高尾は水谷高尾です。
水戸宰相殿為替御用達の水谷六兵衛が請けだしました。しかし、請けだされた後で、六兵衛の下人平右衛門と出奔した後、次々と男を替えて、最後は茶屋の前で倒れて死んだそうです。
4代目高尾は浅野高尾です。
三万石の浅野壱岐守が請けだしました。ただし、浅野壱岐守と名乗った大名はいないようです。
5代目高尾が駄染高尾です。
お題テキスト「江戸のヒロインたち」では「紺屋高尾」と書いてある高尾です。紺屋九郎兵衛が請けだしました。
この高尾は、容姿が美しいうえ、筆もうまく、素直な性格で、大名の奥方になってもはずかしくない大夫でしたが、背が低く、非常に醜男の九郎兵衛と一緒になりました。二人の仲は大変睦まじかったそうです。
なお、駄染というのは、九郎兵衛は染物が下手で、駄染駄染めと呼ばれていたのがその由来のようです。
6代目高尾は、榊原高尾です。十五万石榊原式部大輔が請けだしました。榊原式部大輔というは、姫路藩 代藩主榊原政岑です。この榊原高尾については、お題テキスト「江戸のヒロインたち」で紹介されています。
7代目高尾は、誰が請けだしたかわからないので、年季奉公が明けて、吉原を出たのではないかと書いてあります。木挽町采女が原で水茶屋の女になったとい噂を聞いたがその後はわからないと書いてあります。
高尾考の冒頭部分の最後には、以上書いたものは、御留守居与力の原武大夫という人が語ったのを書きとめたものであると書いてあります。
これを書いたのは明記されていませんが、私自身は、大田南畝ではないかと思っています。
また、三浦屋の高尾太夫は昔から六代目までとか、9代目までとかいろいろな話があり、何代が正しいのかわからないと書いてあります。
従って、江戸時代でも、高尾が何代目まであるかについては諸説があってハッキリしなかったということになります。

